*** 1996年6月12日〜22日 オーストリア(シュタイヤー,ザルツカンマ―グート,ウイーン)&チェコ(プラハ) ***

1.シュタイヤーの
夕暮れ1
2.シュタイヤーの
夕暮れ2
3.聖ミハエル教会1 4.シュタイヤー川と
エンス川の合流点
5.シュタイヤーの
町並1
6.シュタイヤーの
町並2
7.民家のバラ1 8.民家のバラ2
9.聖ミハエル教会2 10.シュタイヤー
河畔の風景1
11.シュタイヤー
河畔の風景2
12.シュタイヤー
河畔の風景3
13.Stadtpfarrkirche
Steyr教会
14.トラウン湖1 15.トラウン湖2 16.トラウン湖3
17.トラウン
シュタイン1
18.トラウン
シュタイン2
19.山岳風景1 20.山岳風景2 21.ヴォルフ
ガング湖1
22.ヴォルフ
ガング湖
風辺の山1
23.ヴォルフ
ガング湖2
24.ヴォルフ
ガング湖3
25.ヴォルフ
ガング湖4
26.ヴォルフ
ガング湖
風辺の山2
27.アタ―湖1 28.アタ―湖2 29.シャーフベルク山
周辺の断崖
30.遠方の雪山 31.シャーフベルク
登山鉄道終点1
32.シャーフベルク
登山鉄道終点2
33.キンポウゲの
お花畑
34.ゲラニウム・
シルヴァティクム
(ハクサンフウロ)
35.ロトゥス・
アルピヌス
(マメ科)
36.アンティリス・
ウルネラリア
(マメ科)
37.ミオソティス・
シルヴァティカ
(忘れな草)
38.シャーフベルク山
の断崖
39.ヴォルフ
ガング湖5
40.登山鉄道の
蒸気機関車
41.プラハ城の衛兵 42.聖ヴィート大聖堂1 43.聖ヴィート大聖堂2 44.教会内の
ステンドグラス1
45.教会内の
ステンドグラス2
46.教会内の
ステンドグラス3
47.教会内の
ステンドグラス4
48.聖ヴィート大聖堂3
49.プラハ市内の
風景1
50.プラハ市内の
風景2
51.プラハ市内の
風景3
52.ライトアップ
された
シュテファンドーム
53.リンク内 54.王宮公園1 55.王宮公園2 56.自宅の
ハイビスカス

古いスライドを整理していた所、1996年6月にヨーロッパに出張した際の写真が見つかったので、スキャナに取り込んで、HPに掲載することにする。ただ、何分約20年前の訪問でもあり、記憶が薄れる中、古いパスポートを捲りつつ、当時を振り返ることにする。
 6月12日(水)午前中に独シュツットガルトでの業務を終え、特急列車にてオーストリア中世の城下町"シュタイヤー"に向かう。同行者は、大型エンジン設計部のI氏並びに大型駆動設計部のH氏である。車窓からは、長閑な田園風景が次々と流れて行くが、ミュンヘンを過ぎた辺りから雄大な山岳風景に変わる。午後6時頃、ザルツブルグを通過する際、ザルツアッハ川の奥に壮大な"ホーエン・ザルツブルグ城"が現れる。当時この雄姿を見て、急に撮影したい衝動に駆られたものだが、何とこの約13年後(2009年9月1日,2日,3日参照)に実現することになる。
永年の思いが通じた恰好だが、私自身も自動車会社のエンジニアから大学教授に転出して以降の話であり、この間の有為転変を考えると、実に感無量である。話を元に戻して、ザンクト・ファーレンタイン駅でシュタイヤー社の方にピックアップして頂き、本日の宿・ホテル・ミニヒメイヤーに向かう。この小さなホテルは、"エンス川"と"シュタイヤー川"との合流点に位置し、部屋の窓から荘厳な"聖ミハエル教会"も望めるので、私のお気に入りである。既に午後9時半を回っているが、サマータイム(日本時間の−7時間)を採用している関係で、この時間になって、やっと日没を迎えることになる。日本でも、サマータイム採用の話が出ているが、ヨーロッパ程緯度が高くないので、効果は北海道辺りに限定されるであろう。
 6月13日(木)夕刻、シュタイヤー社との業務打ち合わせ終了後、エンス川河畔を散策する。"聖ミハエル教会"裏の階段を登り高台に出ると、眼下に絵葉書のような光景が広がっている。
次にこの散策コースを東に向かって下り、エンス川沿いの道を"聖ミハエル教会"手前まで戻ってくると、民家の庭に真っ赤なバラが咲いている。実に深い色合いであり、家主の植物への深い思いやりを窺い知ることができる。ただ、太陽は既に西に傾いており、デイライトタイプのリバーサルフィルム(フジプロビア100Fプロフェッショナル)で、この深い赤色を忠実に再現できるか、いささか不安が残る。
 6月14日(金)夕刻、今度はシュタイヤー川沿いを散策する。周辺には、大学/博物館等の歴史的建造物が並んでいるが、やはり"聖ミハエル教会"の存在感が群を抜いている。更に路地裏を歩いて行くと、"アントン・ブルックナー"所縁の"Stadtpfarrkirche Steyr"教会が現れる。シュタイヤー社のDr.Krisperによると、このゴシック様式の教会で、ブルックナー親子が実際にパイプオルガンを弾いていたとか。最近、私自身もブルックナーの交響曲第八番/第九番を、ハイレゾ音源で聴く機会があったが、ホルンの美しい合奏や煌びやかな管楽器の音色、更には大編成オーケストラの重厚な響きに圧倒される思いであった。この壮大な音楽は、"ブルックナー"のウイーン大学時代の愛弟子ともいえる"グスタフ・マーラー"によって、更に大規模な音楽へと進化して行った模様である。
 6月15日(土)、本日は休日であり、シュタイヤー社の車をお借りして、3人でリゾート地"ザルツカンマーグート(塩の御料地)"に出かける。この地域は、岩塩の産地として、中世期以降のハプスブルグ王朝の財源となった訳だが、現在はその風光明媚な景観から、人気のリゾート地/観光地に変貌している。ただ、当時の岩塩掘削の技術が、鉱山学として創成され、あらゆる工学の礎となったといわれている。所で、今回のドライバーI氏は、米国駐在経験があるため、左ハンドル車の運転には慣れていると思いきや、右折して309号線に入る際に、危うく反対車線に侵入しそうになる。それでも、この道を北上しているうちに慣れてきた模様で、高速道路(当時は無料)に入って以降は、安心して運転を任せられるようになる。余談ではあるが、この高速道路は、第二次大戦中にヒットラーがオーストリアを併合して以降に、軍需道路として作られたものである。一方、H氏は道路地図に首っ切りで、賢明にナビゲーターを努めてくれている。Laakichen Westで高速を下り、ここから144号線を南下して、最初の景勝地"グミュンデン"に向かう。この町は、"トラウン湖"の北岸に位置し、嘗て"シューベルト"が逗留して、交響曲第8番他を作曲した地として有名である。対岸には、急峻な"トラウンシュタイン(標高1691m)"が鎮座している。一見すると登頂困難に思えるが、人気の山でもあり、Dr.Krisperも何度か登られたとか。湖に突き出た半島には古城も見られ、雄大な"トラウンシュタイン"とのコントラストが何とも見事である。ここから、第二のリゾート地"バート・イシュル"を経て、"ザルツカンマ―グート"の中央に位置する"シャーフベルク"を目指す。
 12:20、"ヴォルフガング湖"北岸の"シャーフベルク"に到着する。対岸には、中央が氷河で抉られたような双耳峰が見られる。ここの公営駐車場に車を停め、"シャーフベルク登山鉄道"にて、"シャーフベルク山頂(標高1783m)"を目指す。小型蒸気機関車は、後方から押す形で、湖畔のシャーフベルク駅から山頂駅までのラック式鉄道(延長5.85q/標高差1215m)を、約40分で登り切る。ここは、映画"サウンドオブミュージック"の舞台になったせいか、世界各国から観光客が押し寄せ、満席の車内では、色んな言葉が飛び交っている。山頂駅で下車し10分程坂道を登ると、シャーフベルク山頂に辿り着く。ここからは、360度絶景が広がっており、眼下には紺碧の"ヴォルフガング湖"や先程の"双耳峰"も確認できる。山頂南斜面には、お花畑が広がっており、北海道で馴染の"フウロソウ"類や、"マメ科"の植物も見られるが、圧巻は"キンポウゲ"の大群落というところか。レストハウスの裏手に回ると、足がむず痒くなるような奇妙な感覚に襲われる。H氏も同様の感覚を味わった模様で、人間が危険を察知した際に、防御本能が働いたということになろう。そこで、恐る恐る崖下を覗き込むと、垂直の絶壁が一気に1000m近くも切れ落ちている。次に、東方に回ると、ナイフエッジのようなピークも確認できる。そこで、この光景を近場から撮影するため、崖淵の道を恐る恐る下って行くと、中間点付近まできて足が動かなくなる。どうやら、これが"足が竦む"という現象であろうが、ここまで辿り着けたお蔭で、シャーフベルク山北壁の迫力満点の写真を物にできたので、ここから引き返すことにする。何れにせよ、"ザルツカンマ―グート"全体が、嘗ては隆起した巨大な石灰岩の台地であり、それが永年に渡って風雨により浸食され、先程の"トラウンシュタイン"や"シャーフベルク",更には"ローザ山(標高1838m,2002年7月13日参照)"等の特異な形をした山々が誕生したのであろう。18:00、登山列車の最終で麓の駅へと下る。
 6月16日(日)夕刻、チェコにて開催される学会で、最新のシミュレーション技術を収集するため、車で首都プラハに向かう。オーストリア側の国境の町・ヴロヴィッツを過ぎ、国境検問所を無事通過後、チェコ側のドルニー・ドヴォリステに入ると、風景が一変し粗末な家屋が目立つようになる。また、道路脇の一角には若い女性達が屯し、道端をとぼとぼと歩いている姿も見受けられる。Dr.krisperに伺ったところ、何と客待をしている"bitch"とか。また、後日日本のテレビでもレポートしていたが、週末になると隣国ドイツから客が押し寄せ、風紀上問題になっているとか。考えてみれば、チェコは1989年の"ベルリンの壁崩壊"以降、永年の旧ソ連の支配から解放されたものの、1993年にスロバキアを分離してから数年しか経っておらず、国民の生活は依然貧しいままであったと思われる。
 19:20、更に北上し、南ボヘミヤの古都"ターボル"にて夕食を摂る。レストランに入ると、日本人が珍しいのか、射すような目で見られたが、値段はオーストリアの1/5程度だったとか。
食後、中世の街並みが残る大通りを散歩していると、何と日本の"Fuji Film"を扱う写真店や"H.I.S."の看板を掲げた旅行社が目に留まる。正直言って、こんな片田舎にまで、日本の企業が進出していたとは、驚きである。ここから更に北上し、首都プラハを目指す。途中、太陽が西の空に沈んだが、その後も水平線辺りが茜色に染まっている。何とも哀愁を誘う美しい光景で、写真に収めたい所だが、この明るさだと強引にシャッターを切ってもぶれてしまうので、諦めることにする。結局プラハ・ヒルトンにチェックインしたのは、何と23時前と相なる。
Dr.Krisper、長時間の運転お疲れ様でした。
 6月18日(火)午後、学会の論文発表試聴が一段落したので、プラハ城見学に出かける。地下鉄を乗り継いで城の手前まで来ると、露天商が土産物を並べて売っている。近寄ってみると、何とロシアの民芸品"マトリューシカ"である。旧ソ連の政治支配は終わったが、民間の文化交流は続いていたようである。所で、"マトリューシカ"は、一般的にはロシアオリジナルと思われているかもしれないが、その元祖は日本の"入れ子人形"であるのは、意外と知られていない。それは兎も角、中々愛らしい姿をしていたので、記念に購入することにする。城門手前まで来ると、3人の衛兵が銃剣を装着した鉄砲を担げて、颯爽と行進している。高台に出て城門を潜ると、先ず壮大なゴシック様式の"聖ヴィート大聖堂"に圧倒される。中に入ると、四方の窓には、カラフルなステンドグラスでキリスト像他が描かれており、荘厳な雰囲気を醸し出している。ウイーンの"シュテファン大聖堂"(シュテファンドーム)に勝るとも劣らぬ豪華さである。他にも見るべきものがあったが、風邪で体調を崩していた関係で、早めにホテルに戻ることにする。
 6月20日(木)夕刻、Dr.Krisperにプラハ空港まで車で送って頂き、一旦空路でウイーンに戻り、翌21日朝のフライトで帰国する。なお、20年前の出来事ではあったが、シュタイヤー社の絶大なご協力のお蔭で、特に忘れがたい旅となったので、敢えてHPに掲載することにした。 

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