*** 2017年5月21日 柳田圀男の故郷北条町/福崎町 ***

1.富士山1 2.富士山2 3.南アルプス 4.塩見岳&
白根三山
5.酒見寺楼門1 6.酒見寺楼門2 7.酒見寺参道 8.多宝塔1 9.多宝塔2 10.上重の極彩色組物
と朱色垂木1
11.多宝塔3 12.下重の極彩色組物
と朱色垂木1
13.下重の極彩色組物
と朱色垂木2
14.鐘楼と酒見寺本坊 15.鐘楼1 16.本坊総門 17.本坊1 18.シャクナゲ1
(本坊庭園)
19.シャクナゲ2
(本坊庭園)
20.シャクナゲ3
(本坊庭園)
21.本坊2 22.三福神 23.寿老人 24.福禄寿 25.葵御紋付き灯篭 26.鐘楼2 27.極彩色組物
と朱色垂木
28.多宝塔4 29.酒見寺本堂 30.スイレン1
31.スイレン2 32.キショウブ1 33.キショウブ2 34.住吉神社社殿1 35.住吉神社社殿2 36.住吉神社拝殿
と勅使塚
37.住吉神社拝殿1 38.龍の彫刻 39.住吉神社拝殿2 40.楠公訣子図絵馬
41.住吉神社三殿1 42.住吉神社三殿2 43.住吉神社三殿3 44.羅漢風地蔵像 45.羅漢像群1 46.羅漢像1 47.羅漢像2 48.羅漢像3 49.羅漢像4 50.羅漢像5
51.羅漢像6 52.羅漢像7 53.羅漢像8 54.仏像群 56.羅漢像群2 57.羅漢像9 58.羅漢像10 59.羅漢像群3 60.観音像?
61.羅漢像11 62.羅漢像12 63.羅漢像13 64.羅漢像14 65.羅漢像15 66.セッコク1 67.セッコク2 68.地蔵像 69.住吉神社鳥居 70.創建1300年の
横断幕
71.河童のガジロウ
とコガッパ
72.河童のガジロウ 73.コガッパ1 74.コガッパ2 75.河童池と
河童のガタロウ1
76.河童のガタロウ2 77.河童のガタロウ3 78.妖怪森に吹く風 79.天狗の森の
妖翁1
80.天狗の森の
妖翁2
81.柳田圀男
生家外観1
82.柳田圀男
生家屋内1
83.柳田圀男
生家屋内2
84.柳田圀男
生家屋内3
85.柳田圀男
生家縁側
86.柳田圀男
生家裏側
87.柳田圀男
生家屋内4
88.柳田圀男
生家外観2
89.柳田圀男像 90.柳田圀男
松岡家記念館

 5月20(土)、義兄の七回忌に参列するため、加西市北条町に向かう。当市は、播州平野の中央部に位置し、嘗ての交易の要衝でもあった関係で、未だに豊かな歴史/文化が残っている。一方、先日関東地域でもテレビ放映していたが、隣町の福崎町では、15分おきに池から姿を現す"河童"が、子供達の人気を集めているとか。当町は、民俗学の開祖"柳田圀男(旧姓松岡)"の生誕地でもあり、著書・遠野物語で広く知られることになった河童が、町興しに利用された格好である。また、柳田圀男(以下圀男)は、約9年間福崎町で幼少期を過ごしたのち、一家で隣の北条町に引越しているので、法事が行われる同町が第二の故郷ということになる。河童は兎も角、私自身も郷土の偉人の生き様に興味があるので、法事終了後に生家を訪問することにする。
 5月21(日),07:45、朝食を済ませ、"酒見寺"に向かう。約10分で同寺の楼門を潜ると、右手に重文"多宝塔"が現れる。この寺の謂れについては、前回訪問時(2013年5月26日参照)に記載しているので省略するが、何れも格調高い建築物であり、当時の栄華を窺い知ることができる。前回は、屋根下の極彩色模様に見惚れたが、組物他の複雑な支持構造物も何とも見事である。ネット情報によると、江戸時代寛文2年(1662年)の建立で、直近では昭和51年(1976年)から2年がかりで解体修理されたとか。姫路城ではないが、昭和の大修理というところか。参道を進むと、色鮮やかな"鐘楼"が現れ、その奥には、武家屋敷のような"酒見寺本坊"が控えている。豪壮な総門を潜ると、丹精込めた庭が広がり、その脇に真っ赤なシャクナゲが開花している。塀際の灯篭には、葵御紋が付されており、徳川幕府の帰依があったことを窺い知ることができる。
 08:05、5分で撮影を切り上げ、"住吉神社"に向かう。神社手前の石橋からは、風格のある拝殿が望め、背後の三社殿(東社殿,中社殿,西社殿)と相まって、荘厳さを倍加させているように見える。拝殿を見上げると、見事な龍の彫刻や"楠公訣子図絵馬"も確認できる。この絵馬で、首を垂れる人物は、一見すると女性に見えなくもないが、ネット情報によると、楠木正成の子正行とか。拝殿を出て社殿裏側に回ると、先程の三社殿が眺められる。建物自体には、目立った損傷は確認できないが、地面には雑草が生い茂り、手入れが行き届いていないのが分かる。ここから、脇道を通って"羅漢寺"を目指す。
 08:27、羅漢寺に到着する。学生時代から、石仏撮影のため何度か訪れた場所であり、謂わば私の原点とも言えるが、来る度に新しい発見がある不思議な場所である。加西観光Naviには、『いつだれがなんのために作ったかもわからない五百羅漢。それに答えうる史実も、資料も、確かな言い伝えも、何一つとして存在していないのです。石彫の手法としては、きわめて拙く、それゆえに、素朴さを愛し、何か郷愁めいたあこがれをさえもって、人々はその真実を探ろうとするのですが、訴えるような眸を見せて、この石仏たちは、黙々として何事をも語ろうとはしません。この石仏の謎は、あるいは永遠の謎であるのかもしれません。しかし、それでよいのだとも思います。・・・』とある。実に言い得て妙であるが、私にとっても、最後の訪問になりそうなので、今回は特に心を込めて羅漢像を撮影することにする。ここから一度ホテルに戻ってから、七回忌法要に向かう。帰路、住吉神社の鳥居をくぐると、石垣に沿って、"2017年住吉神社創建1300年"なる横断幕が掲げられている。
 13:20、法事終了後、帰り支度をして、タクシーで北条町から福崎町に向かう。県道23号線を西にひた走ると、数分で寂し気な溜池地帯を通過するが、何故か強く印象に残る。約15分で、"辻川山公園"に到着すると、緩やかな坂道が、小さな池へと続いている。その石橋の上には家族連れが群がっており、これが、テレビで放映された"河童池"のようである。私もその上で暫く待っていると、池の中から3匹の河童(カワジロウ&コガッパ)が現れ、10秒ほどで隠れてしまう。子供騙しと言えばそれまでだが、中々リアル(?)な造りである。池の周辺には、河童の像(兄のガタロウ)や、妖怪2体も設置されており、これらも、子供達の人気を集めているようである。ただ、河童の浮上は15分於きなので、圀男の生家を訪問することにする。
 13:37、生家に到着する。自身でも"日本一小さな家"と語っている通り、舞岡公園の"古民家(2016年12月2日参照)"に比べるべくもないが、思ったほど粗末な建物ではない。中に入ると、4間しかなく、ここで10人(両親&8人兄弟)が共に生活していたとは、俄かに信じがたい。近くにある、"柳田圀男松岡家記念館"に有ったパンフレットには、『長兄は二十で近村から嫁を貰った。しかし私の家は二夫婦の住めない小さな家だった。(中略) 一年ばかりの生活で、兄嫁は実家へ逃げ帰ってしまった。(後略) 私(注:6男)は、こうした兄の悲劇を思うとき、"私の家は日本一小さい家だ"ということを、しばしば人に説いてみようとするが、じつは、この家の小ささという運命から、私の民俗学への志も源を発したといってもよいのである。・・・』とある。更に先程気になった"溜池"に関しても、『私が辻川にいたころは、茨城県から長兄(注:離婚⇒東大医進学⇒茨城県で医院開業)が送金してくれるのだが、私は北条の町まで二里、為替を取りにやらされるのがつねだった。(中略) 北条と辻川の間、群境の所に大きな池が三つほどあり、淋しい、追剥の出そうな所であった。』とある。更に、河童についても、『辻川あたりではカッパはガタロというが、随分いたずらをするものであった。子供のころに、市川で泳いでいるとお尻をぬかれるという話がよくあった。それが河童の特徴なわけで、私らの子供仲間でもその犠牲になったものが多かった。』とある。その解説には、圀男自身もここで遊んでいた際、流れに引き込まれて、あやうく死にそうになったことが記載されている。つまり、先程の池端にあった河童"ガタロウ"は、この"ガタロ"が元になっており、持っていた玉が、尻からぬかれた玉ということになる。更に、河童の原点は、遠野物語の舞台となった花巻ではなく、郷里の福崎町にあると言えそうである。以上、パンフレットに記されていた話は、圀男が84歳の時に、200回にわたって神戸新聞紙上に掲載された内容の一部で、改めて取り寄せて読んでみたいものである。ここから、JR福崎駅に向かったものの、結局タクシーが捕まらなかったので、炎天下の中、延々1時間程も歩く羽目になる。熱中症にもならず無事帰れたのは、日頃ウオーキングで鍛えているせいであろうか。
 今回は、義兄の法事の序に、加西市の神社仏閣と柳田圀男の故郷を探訪した。改めて、圀男の生き様に興味を覚えたので、別途茨城県取手市にある"柳田圀男記念公苑"も、大山さんと共に訪問してみたい。

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