*** 2016年11月7日 奥久慈の秋その1 ***

1.月待の滝1 2.月待の滝2 3.月待の滝裏側 4.月待の滝下流側 5.蕎麦屋
もみじ苑より1
6.蕎麦屋
もみじ苑より2
7.色付き始めた
モミジ1
8.色付き始めた
モミジ2
9.駐車場のモミジ1 10.駐車場のモミジ2
11.八溝山山頂 12.八溝山展望台 13.谷川岳&那須連山 14.那須連山 15.谷川岳 16.久慈男体山1 17.八溝嶺神社1 18.八溝嶺神社2 19.八溝嶺神社参道 20.ミズナラの黄葉
21.永源寺の紅葉1 22.永源寺の紅葉2 23.永源寺の紅葉3 24.永源寺の紅葉4 25.永源寺の紅葉5 26.永源寺の紅葉6 27.永源寺の紅葉7 28.永源寺の紅葉8 29.永源寺の紅葉9 30.永源寺の紅葉10
31.永源寺の紅葉11 32.永源寺の紅葉12 33.永源寺の紅葉13 34.永源寺の紅葉14 35.永源寺の紅葉15 36.永源寺の紅葉16 37.永源寺の紅葉17 38.永源寺の紅葉18 39.永源寺の紅葉19 40.永源寺の紅葉20
41.永源寺の紅葉21 42.永源寺の紅葉22 43.永源寺の紅葉23 44.永源寺の紅葉24 45.永源寺の紅葉25 46.永源寺の紅葉26 47.永源寺山門 48.永源寺お堂 49.永源寺本堂 50.永源寺の紅葉27
51.クマモンの石像 52.クジラの石像 53.永源寺の紅葉28 54.永源寺の紅葉29 55.永源寺の紅葉30 56.永源寺の紅葉31 57.永源寺の紅葉32 58.永源寺の紅葉33 59.永源寺の紅葉34 60.永源寺の紅葉35
61.永源寺の紅葉36 62.永源寺の紅葉37 63.永源寺の紅葉38 64.永源寺の紅葉39 65.永源寺の紅葉40 66.永源寺の紅葉41 67.永源寺の紅葉42 68.永源寺の紅葉43 69.永源寺の紅葉44 70.永源寺の紅葉45
71.旧上岡小学校
校舎1
72.旧上岡小学校
校舎2
73.旧上岡小学校
校舎3
74.旧上岡小学校
教室1
75.旧上岡小学校
教室2
76.旧上岡小学校
廊下1
77.旧上岡小学校
教室3
78.旧上岡小学校
職員室
79.旧上岡小学校
廊下2
80.旧上岡小学校
音楽室1
81.旧上岡小学校
音楽室2
82.旧上岡小学校
校舎4
83.旧上岡小学校
校舎5
84.旧上岡小学校
下駄箱
85.旧上岡小学校
校舎6
86.旧上岡小学校
校舎7
87.旧上岡小学校
校舎8
88.旧上岡小学校
校舎9
89.旧上岡小学校
運動場1
90.旧上岡小学校
運動場2

 紅葉の季節になったので、11月7日(月)/8日(火)の両日、"袋田の滝"で有名な奥久慈を、略6年半振りに大山さんと訪問する。毎年秋には、2000m級の山々に共にチャレンジしてきたが、年々私の体力の衰えが顕著になってきたので、初日は体力を温存し、二日目に"奥久慈男体山(標高654m)"に初挑戦することにする。ただ、この山は標高に似ず、実に堂々たる山容をしており、標高差約350mの断崖を直登する健脚者向けから尾根道を巡る一般コースまで、レベルに応じた選択が可能である。今回は、私に合わせて頂て、後者のルートを取ることにする。
従って、初日は奥久慈の自然/文化を探訪する旅と言うことになる。
 7:00、自宅横浜を後にする。ナビに従い首都高速横羽線に入ると、早速生麦手前から朝の渋滞に巻き込まれる。更にその先の浅田まで、のろのろ運転が続き、羽田を通過した時点で、優に1時間は経過している。この分だと、首都圏を抜けるのに2時間以上もかかるかと思いきや、以降渋滞には会わず、正に想定外の早さで、待ち合わせ時間の約1時間前に到着する。早速大山さんに連絡を入れたところ、未だ御自宅とか。それでも、直ぐに駆けつけて下さったお蔭で、予定より30分早く奥久慈へと出発することになる。相談の結果、ここから国道118号線を北上し、先ず"袋田の滝"の北西に位置する"月待の滝"を訪問し、ここで名物の手打ちそばを賞味することにする。
 11:41、"月待の滝"に到着する。手前の駐車場に車を停め、緩やかな坂道を下って行くと、木立の中に小滝が現れる。滝周辺の光景を撮っていると、親子連れが現れ、滝の裏側に入って行く。どうやら、滝の飛沫に晒されることなく、通れるようである。お世辞にも名瀑とは言えないが、この辺りが観光客を呼び込む目玉というところか。そうこうする内に昼時になったので、川端に建つ"月待の滝もみじ苑"にて、人気の手打ち蕎麦を堪能することにする。二階のオープンテラスの席から下を眺めると、成程名前の通り、多くの椛が見られるものの、残念ながら青葉のままである。また、肝心の十割蕎麦も、香/腰とも今一つで、しかも一部が干乾びており、どうやら作り置きしたもののようである。これなら、6年半程前に食した西金砂(ニシカナサ)の"そば工房(2010年3月9日〜11日参照)"の方が、余程美味である。ここで、一時間程休憩したであろうか。体が冷えてきたので、そろそろ腰を上げ、次の目的地"八溝山(標高1022m;茨城県最高峰)"に向かうことにする。
 13:29、"八溝山"山頂に到着する。早速、城のような展望台に登ると、360度の眺望が広がっており、ここが茨城の最高点であるのが実感できる。北方には那須連山が、その西方には懐かしき"谷川岳"が望める。南側に回ると、明日登る予定の"奥久慈男体山"の断崖が霞んで見える。この急峻度合いからして、やはり直登コースを選択しなくて正解であったようである。展望台を下り無人の八溝嶺神社に参拝したあと、南斜面を眺めると、"ブナ"や"ミズナラ"の黄葉が確認できる。丹沢では標高1300m程度にあるブナの生育帯も、奥久慈では標高1000m付近にまで降りてきているのが実感できる。ここから一旦山を下り、南下してモミジ寺"永源寺"に向かう。
 14:36、"永源寺"に辿り着く。先程の"月待の滝"の紅葉は今一つであったので、里のモミジも青葉のままかと思いきや、高さ10m以上もありそうな大モミジが、真っ赤に色付いている。正に"モミジ寺"の面目躍如というところであるが、太陽は既に西に傾いている関係で、折角の赤色も彩度を失い、立体感も乏しくなっている。この分だと、谷間にある"袋田の滝"も絶景は期待薄なので、明日に先延ばしし、多くのドラマ/映画の舞台となった"旧上岡小学校"に向かう。また、"永源寺"も、明朝日差しがある時に、再訪することにする。
 15:25、"旧上岡小学校(1879年創立⇒2001年閉校)"に到着する。校門からは、何処かノスタルジーを感じさせる木造校舎が眺められる。ネット情報によると、平日は校舎に入れないとのことであったが、近付いてみると何と玄関が開いている。どうやら、"茨城県北芸術祭"開催中は、平日も一般公開されているようである。早速教室に入ると、机や椅子は片付けられ、代わりに"芸術作品?"が置かれている。ただ、今回は懐かしき光景を収めるために訪れたので、なるべく"芸術作品?"を外して撮影する。渡り廊下の階段を登り、体育館に入ると、床面いっぱいに漆黒の液体が張られ、舞台正面には卵形の黒い物体まで置かれており、残念ながら"芸術作品?"の映り込みを避けるのは不可能である。校内の写真を撮り終え、運動場に出ると、その片隅に懐かしきジャングルジムと滑り台が目に留まる。ふと、来住小学校1年生の時に、この前で優しかったM.M先生と共に、クラス写真を撮ったのを思い出す。M.M先生には、1991年に再会が叶い、以降交流が続いたものの、その数年後に病没され、万感胸に迫る思いである。我が愚妻と名前が一致するのも、何かのご縁であろうか。ただ先祖の墓も都会に移し、故郷を訪れる機会も皆無となり、故郷の便りを聴くのは、同窓会に参加した時くらいである。更に、室生犀星の『ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの よしや うらぶれて異土の乞食となるとても 帰るところにあるまじや」が思い浮かぶ。ここから、本日の宿"思い出浪漫館"へと車を走らせる。 

戻る