*** 2011年2月26日 神奈川の紅梅/白梅 ***

自宅(No.1〜8)並びに江の島周辺(No.9以降)

1.紅梅1 2.紅梅2 3.紅梅3 4.紅梅4 5.紅梅5 6.紅梅6 7.紅梅7 8.紅梅8
9.常立寺裏口 10.紅白の枝垂れ梅1 11.紅白の枝垂れ梅2 12.紅白の枝垂れ梅3 13.枝垂れ紅梅1 14.枝垂れ紅梅2 15.枝垂れ紅梅3 16.枝垂れ白梅1
17.枝垂れ白梅2 18.紅梅9 19.紅梅10 20.紅梅11 21.常立寺参道 22.山門前の地蔵1 23.山門前の地蔵2 24.山門前の地蔵3
25.枝垂れ紅梅4 26.枝垂れ紅梅5 27.紅梅12 28.紅梅13 29.紅白の枝垂れ梅4 30.枝垂れ白梅1 31.枝垂れ白梅2 32.枝垂れ白梅3
33.紅梅14 34.紅梅15 35.紅梅16 36.枝垂れ白梅4 37.枝垂れ白梅5 38.枝垂れ白梅6 39.枝垂れ白梅7 40.境内の石仏
41.江の島
(江の島海岸)
42.江ノ電1
(鎌倉高校前)
43.江ノ電2
(鎌倉高校前)
44.湘南道路1
(姥ヶ谷付近)
45.湘南道路2
(姥ヶ谷付近)
46.タンポポ
(姥ヶ谷付近)
47.成就院参道1 48.成就院参道2
49.成就院山門1 50.成就院山門2 51.本堂 52.境内の弘法大師像 53.本堂廊下の
パンフレット
54.由比ガ浜海岸1
(山門前)
55.由比ガ浜海岸2
(山門前)
56.由比ガ浜海岸3
(山門前)

 2月26日(土)、ここ2日間の強風が、漸く治まったため、カメラをぶら下げて、梅花撮影に出かける。昨年の略同時期、大山さんの御好意で、水戸・偕楽園の見事な梅花を撮影するチャンスに恵まれたが、今年は地元の紅梅/白梅を狙うことにする。別途、WEB上で調べたところ、湘南モノレール江の島駅近くに、"常立寺"(じょうりゅうじ)なる"枝垂れ梅"の名刹があるとか。一方、自宅のベランダから望める一本の紅梅も、日毎に色合いを増し、殺風景な空間に彩りを添えている。そこで、先ずこの紅梅をカメラに収めたのち、"常立寺"を訪問することにする。
 11:00、望遠レンズも携えて、近くの小さな公園に向かう。思えば、昨年まで、この時期不在であった関係で、この紅梅を撮影するのは、10年ぶりである。今年も、多くの花芽を付けており、今が正に見頃と言える。本日は晴天、青空に映える濃緋色が、何とも見事である。ここで数十枚撮影したのち、バス/モノレールを乗り継ぎ、次の目的地に向かう。
 13:45、湘南モノレール江の島駅で下車し、大通りを北に数分程歩むと、"常立寺"に到着する。裏口から入ると、既に数名の来訪者が、紅白の"枝垂れ梅"を取り囲んでいる。その脇では、後期高齢者と思しき方が、絶好の位置に大型カメラを設置し、近寄ってきた人々に、撮影の講釈をされている。私も早速正面から、超広角でこの光景を撮影したのち、背後に回る。ここは正に別天地で、逆光に映える紅白の枝垂れ梅が、何とも新鮮に映る。直ぐ傍には、艶やかな紅梅も開花しており、色合いからして、自宅近くのそれと同種であろう。一方、山門近くには、朱色の帽子を被った6体の地蔵が、横一列に鎮座している。実に穏やか且つ愛らしい姿である。
所で、Wikipediaによると、"常立寺"は、近くの"龍口刑場"で処刑された罪人を弔うため、鎌倉時代に建立されたとか。実際に、文永の役(1274年)の翌年、日本に渡来した元の国使5名が、龍口で処刑され、この寺に葬られたとのこと。この事件が影響してか、弘安4年(1281年)に元寇が再度襲来し、九州地方は戦場と化す。しかしながら、この時も神風が吹き、蒙古軍(実際は南宋/高麗の連合軍が殆ど)の大半が、海の藻屑と消えた訳である。その後、日本への蒙古侵攻は途絶えたが、今度は踵を返して南進し、1287年にビルマ・パガン王朝を陥落させている。時代は移って、第二次大戦中には、日本軍が蒙古/ビルマ両国に侵攻し、傀儡政権を樹立させている。
戦後は、蒙古は内モンゴル/外モンゴルに分断され、前者は中国に併合、後者は旧ソ連の傀儡国家として、再スタートを切ることになる。一方、ビルマは、戦後一貫して軍事政権が続き、民主化が最も遅れた独裁国家の一つとなっている。2003年9月、私がミャンマー(旧ビルマ)のヤンゴン工科大学を訪問した際には、ヤンゴン(旧ラングーン)市民は、非常に親日的であったものの、日本のODA支援が滞る中で、中国の強大な影響力が、軍事政権はおろか、大学にまでも及びつつあったのは、皮肉な歴史の巡り合わせと言わざるを得ない。そんな感慨に耽りつつ、"常立寺"で30分程留まったであろうか。ここから片瀬海岸に出て、湘南道路周辺の写真を撮りつつ、江ノ電・極楽寺駅近くの"成就院"を目指す。
 15:23、"成就院"前に到着する。左手に墓苑があり、正面入口の先には、緩やかな石段が山門へと続いている。この坂を登りきると、優美な円弧を描く"由比ガ浜"が眼下に望める。望遠に交換すると、波打ち際で戯れる人々も確認できる。所で、この寺を訪問する切っ掛けとなったのは、中高年の切ない恋を描いたドラマ"遠回りの雨"(詳細は2010年11月27日のブログに掲載)のワンシーンで、この石段から望める光景が、実に抒情的であったからである。一方、この古刹は、真言宗の開祖・空海ゆかりの寺で、1219年に北条泰時が再建したとか。私が高知工科大学在職時、良く訪れた大日寺(四国八十八ヶ所第28番札所)と同じ宗派であるのも、何かの御縁であろう。山門をくぐると、意外と小さな本堂が現れる。近づくと、その縁側には、寺院のパンフレットと共に、一輪の椿の花が添えられており、その細やかな配慮に心が和む。また、この紙面には、"縁結び不動明王"が寺の御本尊と記されている。通りで、女性の参拝客が多いわけである。ここで、私の親族の当病平癒を祈願したのち、JR鎌倉駅に向かう。

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