*** 2006年12月2日〜8日 ハワイ ***

ハワイビーチ
1.ワイキキビーチ1 2.ワイキキビーチ2 3.カタマランヨット 4.ダイヤモンド
ヘッドの豪邸1
5.ダイヤモンド
ヘッドの豪邸2
6.ココヘッド
(カハラビーチ)
7.カハラビーチ1 8.カハラビーチ2 9.ヤシの木1
(カハラビーチ)
10.ヤシの木2
(カハラビーチ)
11.ウチワの様な葉
(カハラビーチ)
12.ナウパカの花
(カハラビーチ)
13.ボートセーラー
(豪邸のオーナー?)
14.夕日1
(カハラビーチ)
15.夕日2
(カハラビーチ)
16.ウィンドウ
サーファー1
(カハラビーチ)
17.ウィンドウ
サーファー2
(カハラビーチ)
18.ウィンドウ
サーファー3
(カハラビーチ)
19.ハナウマ湾1 20.ハナウマ湾2
21.ハナウマ湾3 22.ココクレーター1 23.ココクレーター2 24.ココクレーター3 25.サンデイビーチ1
26.サンデイビーチ2 27.サンデイビーチ3 28.シーライフパーク
方面
29.タートル
アイランド1
(マカプウ岬)
30.タートル
アイランド2
(マカプウ岬)
31.ラビット
アイランド1
(マカプウ岬)
32.ラビット
アイランド2
(マカプウ岬)
33.マカプウ岬前の
エメラルド
グリーンの海
34.カイルア
ビーチ1
35.カイルア
ビーチ2
36.カイルア
ビーチ3
37.薄青色の花
(カイルアビーチ)
38.薄紫色の花
(カイルアビーチ)
39.コオラオ山脈1 40.コオラオ山脈2

シェラトンホテル周辺
41.シェラトン・
ワイキキ・
ロータリー
42.シェラトン・
ワイキキ・
ロビー
43.シェラトン・
ワイキキ・
海側外観
44.シェラトン・
ワイキキ・
プール1
45.シェラトン・
ワイキキ・
プール2
(626号室より)
46.シェラトン・
ワイキキ・
プール3
(626号室より)
47.ワイキキの
大パノラマ
(ハノハノルーム
より)
48.ワイキキビーチ 49.シェラトン・
ワイキキ周辺
ホテル
50.ヨットと
ウインド
サーフィン
(626号室より)
51.ヨット
(626号室より)
52.夕日1
(626号室より)
53.夕日2
(626号室より)
54.夕日3
(626号室より)
55.日没
(626号室より)
56.ロイヤル
ハワイアン
裏玄関
57.ロイヤル
ハワイアン
プール
58.ロイヤル
ハワイアン
中庭1
59.ロイヤル
ハワイアン
中庭2
60.シェラトン
モアナサーフ
ライダー 正面玄関
61.ハイアット
リージェンシー
テラス1
62.ハイアット
リージェンシー
テラス2
63.インター
ナショナル
マーケット
プレース1
64.インター
ナショナル
マーケット
プレース2
65.ロウソク細工1
(インター
ナショナル
マーケット
プレース)
66.ロウソク細工2
(インター
ナショナル
マーケット
プレース)
67.カピオラニ公園 68.ダイヤモンド
ヘッド
(カピオラニ公園)
69.ヤシの樹1
(カピオラニ公園
周辺)
70.ヤシの樹2
(カピオラニ公園
周辺)
71.日没1
(アラモアナ
ビーチパーク)
72.日没2
(アラモアナ
ビーチパーク)
73.ワイキキホテル
の夜景
(タンタラスの丘)
74.ホノルル
国際空港
(NH1051便より)
75.カウアイ島
ワイメア渓谷
(NH1051便より)

ハワイの花の写真
76.白いプルメリア
(カピオラニ公園
付近)
77.赤いプルメリア
(カピオラニ公園
付近)
78.ピンクの
ブーゲンビリア
(ダイヤモンド
ヘッド周辺)
79.赤の
ブーゲンビリア
(ダイヤモンド
ヘッド周辺)
80.ブーゲンビリア
の花園
(ダイヤモンド
ヘッド周辺)
81.ブーゲン
ビリア1
(豪邸の入口)
82.ブーゲン
ビリア2
(豪邸の入口)
83.ブーゲン
ビリア3
(豪邸の入口)
84.ブーゲン
ビリア4
(豪邸の入口)
85.ブーゲン
ビリア5
(豪邸の入口)
86.イクソラ
(サンタンカ)
(ダイヤモンド
ヘッド周辺)
87.崖に自生する
ブーゲンビリア
(ダイヤモンド
ヘッド南麓)
88.ブーゲン
ビリア1
(カハラ周辺)
89.ブーゲン
ビリア2
(カハラ周辺)
90.ブーゲン
ビリア3
(カハラ周辺)
91.ピンクの
ハイビスカス
(ダイヤモンド
ヘッド周辺)
92.真紅の
ハイビスカス1
(カピオラニ公園)
93.真紅の
ハイビスカス
と蜜蜂
(カピオラニ公園)
94.レッドジンジャー
(ロイヤル
ハワイアン 中庭)
95.ピンク
ジンジャーか?
(ロイヤル
ハワイアン 中庭)


 12月2日(土)、Inter Noise 2006(騒音・振動関係の国際学会)にて論文発表のため、成田からホノルルに向かう。ハワイでの論文発表は、1992年開催のDesign Productivity Conference(タグチメソッドの学会)以来2度目であるが、前回と同じシェラトンワイキキで開催されるのも、何かのご縁であろう。以下、学会の研究論文については省略し、ホノルル滞在時の出来事を中心に記述する。
 12月2日(土)、NH1052便にて定刻21:00に成田を出発し、同日朝8時半頃ホノルル空港に到着する。日本−ホノルル間には-19時間の時差がある関係で、夜出発したにもかかわらず、同日朝到着とあいなる。また、フライト時間は約6時間半でこの間二度も食事が出るため、機中では殆ど眠れず、着いた当日/翌日は体調を崩すことが多い。従って、米国本土或いはヨーロッパより、きつい出張と言える。
 通関後、タクシーでシェラトンワイキキに向かう。本日は小雨交じりで、まるで梅雨の季節に戻ったようである。それでも、運転手はクーラーのスイッチを入れないまま、約30分間蒸し風呂の状態でホテルに到着する。早速部屋でシャワーを浴びようと、"アーリーチェックイン"を依頼したが、学会参加者の特別レートなので、部屋が空くまでは入室不可とのことである。では、何時まで待てば良いかと聞いても、"相手次第なので判からない"と木で鼻を括ったような返答である。追加料金を払うからと、更に粘ってもそれも満室で駄目とのことで、結局延々午後2時前まで待たされる羽目になる。なお、このホテルは、未だに"故小佐野賢治"一族の資産であり、少なくても日本人に対しては、心のこもったサービスを、心掛けて欲しいものである。
 名実共に、"レイトチェックイン"となったが、待った甲斐あってか、部屋は何と"オーシャンフロント"である。正に"目の覚めるような"景色で、眠気を払った後、早速未完成のレビュー資料作成に取り掛かる。
 12月3日(日)夕刻、カメラをぶら下げて、ダイヤモンドヘッド方面に散歩に出かける。一週間後にホノルルマラソンが開催されるとあってか、多くのランナーやウォーカーとすれ違う。一方、カハラの沖合では、ウインドサーファーの華麗な競演が見られる。未だ資料準備がある関係で、早々に切り上げホテルに戻る。
 12月4日(月)、いよいよ晴れ舞台当日である。時差ぼけと発表のストレスのせいか、早朝目覚めてしまったため、発表直前までプレゼン資料をリファインする。発表の約40分前に、見切りをつけ会場に赴く。私の前々回,前回の発表者は夫々,シンガポール,韓国の方であるが、ネイティブに近い発音で、堂々と発表されている。どうやら、永年の留学或い滞在経験のある方のようである。私も負けじと、資料を見ずに
、自分の言葉でレビューする。直前まで資料をいじっていたせいで、口頭発表の練習が出来ず、ぶっつけ本番となってしまったが、想定内の質問も2問よせられ、事なきを得た。自己評価すると、70点の出来という所であろうか?
 午後はストレスから開放され、振動関係を中心に他の論文発表を拝聴する。今回も日本人の発表は、下を向いて資料を棒読みする例が多く、途中で聴衆が退席する場面も見かけられた。このような場合、質問は"ゼロ"か、今流行の"やらせ質問"のみである。発表したという実績だけでなく、何を討論したかが重要なのは言うまでもない。私も含めて、今後は発表の練習に時間を割くべきであろう。夕刻は、部屋のベランダから、じっくりと夕日を撮影する。
 12月5日(火)、本日は他の論文を拝聴するのみなので、比較的気楽な一日である。また、単独での参加であったため、知り合いの先生方に会うチャンスはないと思いつつ、各セッションを渡り歩いていた所、突然背後から"酒井先生"と声をかけられる。振り向くと、これまで面識のない若い方である。挨拶を交わすと、何と本学機械システム工学科のM先生である。何という寄寓であろうか。聞けば、締切り後に急遽エントリーされたそうである。この不思議な出会いを祝し、最上階のレストラン"ハノハノルーム"で夕食をご一緒する。
 12月6日(水)の帰国前日、論文拝聴を早々に切り上げ、F社主催の半日ツアーに出かける。本日は快晴、さんさんと降りそそぐハワイの太陽の下で、先ずハナウマ湾を撮影する。数万年前の海底火山が隆起後、波の浸食を受けて淵から浸水し、このような馬蹄形になったそうである。この反対側には、"ジラシックパーク"に出てきそうな、ココクレーターが望める。一昨年12月16日に、喘ぎながら登った思い出多き山である。改めて眺めてみても、山頂部の急峻さが確認できる。
 その後マカプウ岬へと向かう。眼下の海は、正に息を呑むような光景で、ライトブルーからエメラルドグリーン、更にはダークブルーと深さに応じて変化していく。愛機で、この微妙な色合を、何処まで再現できるか、楽しみである。その後、カイルアビーチからエコツアーの現場へと北上する。
 同日夕刻、帰国準備はそこそこに同社のナイトツアーに出かける。夕日や満天の星他が望める、盛りだくさんなツアーである。今回の参加者は合計3名、途中のシェラトン・プリンセスカイウラニから、2人の女子大生が合流する。聞けば、Aさん(立大),Nさん(武蔵野大)とのことで、来春の就職も決まっているそうである。今時の若い子には珍しく、実に礼儀もしっかりしている。話している内に、本学女子学生のような錯覚に陥る。所が、最初の夕日ツアーに向かった所、大渋滞に巻き込まれ、View Pointとなるアラモアナ・ビーチパークに着いた時は、太陽は既に沈んだ後であった。ツアー主催者のSさんも、しきりに言訳をされているが、既にホテルのベランダから夕日を撮影していたので、"never mind"である。それでも、茜色に染まった夕暮れ風景を何枚か撮影する。
 所で、Sさんは、今朝4時起きで夜遅くまで働きずめである。嘗て田園調布にお住まいで、10年前に帰化されたそうであるが、ハワイで生活するのは楽ではないようである。
 一方、女子大生の二人と四方山話をする中で、不思議な繋がりがあることが判かる。Aさんの大学の場合、立教野球部の黄金時代を築いた三羽烏(ショート本屋敷,サード長嶋,ピッチャー杉浦)の内、キャプテン本屋敷錦吾氏は、私の出身校(県立芦屋高校)の先輩に当たる。更に、ご自宅は私の実家(芦屋市大原町)の直ぐ近く(僅か50m程度の距離)である。また、Nさんのお母さんの田舎は、私と同じ兵庫県小野市である。他にも、不思議な共通点があるが、紙面の関係で省略する。
 所で、幕末の大老"井伊直弼"(茶道の大家でもあった)の名言に、"一期一会"があるが、人との出会いは単なる偶然ではなく、色々な因縁を含んだ必然のように思えてくる。海外に出かけるたびに、多くのシンクロニシティーに遭遇するのは、私だけであろうか?
 その後、浜辺での星の観測を終え、タンタラスの丘に向かう。眼下に、ワイキキホテル群の見事な夜景が広がる。ただ、この暗さでは写真がぶれてしまうため、撮影は諦めていたところ、Sさんが偶然三脚をお持と聞き、これをお借りして何枚か撮影する。PCに画像を取り込んでみたところ、幸運にも1枚のみまともな写真があったので、これをHPに掲載する。ここから、ホテルへの帰路を急ぐ。
 今回、12月2日から8日にかけて、論文発表のため、ホノルルを単独で訪問した。M先生,A&Nさん他との不思議な出会いを体験する旅であった。皆様のご多幸を祈り筆を置く。

《後日談》帰国時のNH1051便でお会いしたCA(パーサー)のT.Oさんは、昨年フランクフルト線並びにワシントン線の機内で二度お会いしたCAのS.Oさんと、偶然同姓であった。T.Oさんとも、まさか二度会うことはないと思っていたところ、何と同日の成田−新千歳線で再会した。Aさんが、来春からANAの地上係員になられるのも、何かの因縁であろう。

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