風日誌

時代のスピードアップ/リターン・トゥ・フォーエヴァー


2005.3.20.

 

・時代のスピードアップ
・チック・コリア『リターン・トゥ・フォーエヴァー』
 
NHKテレビの「シルクロード」を見る。
天山北路が今回のテーマ。
新しいシリーズに平行して、
20年以上まえの番組もまた放送されていることを知る。
司馬遼太郎がそのときの取材に同行していて、
しきりに少数民族のことをうれしそうに語っているのが面白かった。
おそらくかつて司馬遼太郎は、かつての生で、
騎馬民族として馬を駆っていたのかもしれない。
 
よく覚えてはいないが、その当時、まだぼくは学生で、
たしかアルバイトをしながら生活費と学費を稼ぎ、
その後、今の仕事に就くようになった頃だと思う。
なんだかカオスのようなよくわからない日々だったような記憶がある。
それからもう二十数年も経ったことになる。
 
その二十数年前の番組は、とてもゆっくりとしたスピードで、
間をしっかりととった、せかせかしていないことに気づいた。
おそらくその数十年前にはもっとゆったりとしていたのだろう。
それを思えば、テレビ番組などがおそろしくせっかちなのがわかる。
しかも極度なまでにおせっかいである。
 
コメディアンのテレビでのアピールも、
病的なまでに短いスパンでの「受け」をねらわなければならない。
じっくり落語をきいているような余裕はもはやないのだろう。
数分間の間に、笑いをとらなければ、
視聴者はそっぽをむいてしまうのだ。
じっくり「芸」を楽しむような余裕はとくにテレビにはない。
常に短いスパンで数多くの刺激の銃弾を連射し続けている。
 
そういえば、とあらためてのように思うが、
二十年以上広告に携わってきて、
その表現方法の変遷などをふりかえってみると、
かつては制作プロセスにおいても、
ほんとうにゆっくりとした時間が流れていた。
今やかつて写植を打っていたような職人的な時間の流れは存在しない。
パソコンの上で、デジタルデータが
スピーディに構成されてゆくようになっている。
画像の処理も驚くほどカジュアルだ。
印刷データも新聞広告データも、テレビCM素材も、
今ではほとんどすべてデジタル化している。
 
その二十数年前のシルクロードは、まだアナログの世界のものだ。
時代はまだ今ほどは加速しているととはいえない。
しかし時間がせかせかしていたわりには、
人がそのなかでなんらかの認識を深めているとはいえそうもない。
相変わらず、というか前にも増して愚かな事件は多い。
わけのわからない正義の戦争さえ起こされて
その解決策も見えてはいないような状況だ。
 
かつても騎馬民族も、定住生活に移行したものも多いのかもしれない。
それで何かが解決したわけでもないだろうが、
時代のなかで何かが急速に変わろうとしている。
いったい何がどのように変わろうとしているのか。
 
急速な変化のその先にはいったいなにがあるのだろうか。
 
さて、今日の音楽は、
チック・コリアの懐かしい『リターン・トゥ・フォーエヴァー』
1972年の作品。
 
ぼくがこれをはじめて聞いたのは、たしか1976年か1977年頃。
そのころはまだあったジャズ喫茶の穴蔵のようなところでだったと思う。
ちょっとした衝撃を受けたりもした音楽。
キース・ジャレットの『ケルン・コンサート』を聴いたのもその頃のことだ。
ECMである。
 
テレビのシルクロードの番組以上に昔のことだけれど、
やはり時代の流れを感じる。
その新しさはすでに新しさではなくなっているし、
「永遠への回帰」にもかかわらず、「永遠」はどこにもない。
むしろなにがしかの回顧が響いている。
今聴いても決して悪くはないけれど、
回帰しているのは、永遠へではなさそうに感じる。
いったいどこに回帰しようとしているのだろう。
 
 

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