風日誌

デリダ/シュタイナー翻訳2冊/アファナシェフのリスト


2005.1.28.

 

・デリダ特集花盛り
・シュタイナー翻訳2冊
 高橋巌訳『シュタイナー 宇宙的人間論』(春秋社)
 西川隆範訳『身体と心が求める栄養学』(風濤社)
・アファナシェフのリスト
 
デリダってダリダ(だれだ)?
というのはありがちなだじゃれだが、
いちばん最初にデリダをよんだとき
(もう25年ほどまえのことだが)
思いついたのはたわいもないそんなことだった。
 
そんなデリダも昨年10月に亡くなり、
あいついでいろんな特集なども組まれていたりする。
そういえば、デリダの伝記的なことについてはまるで知らない。
それでそれについても少し書いてあるものを読んでみた。
さすがデリダ、かなり複雑なストーリーがあるようだ。
 
ロラン・バルトが著作家の指名について、
「表現できないものを表現すること」ではなく、
「表現できるものを表現しないこと」だといっているように、
「何も言わないために語ることは、語らないことではない」というデリダ。
 
まるで否定によって否定を超えていこうとするような仏教者のようなことば。
「デリダから道元へ」というような著作もたしかでていたように、
デリダのことばには、そんな中論的なものを
西洋的な流れのなかで語っているようなそんな印象もあったりする。
そういう意味で、デリダのことばは、日本人あたりのほうが
感覚的にもピンとくる可能性もあるのかもしれないが、
日本だとどうもある種のプロセスが欠落する可能性もあり、
むずかしいところなのかもしれない。
 
で、デリダ特集に少しだけ便乗して
ほんとうに久々デリダを少しだけれど読んでみたりしている。
ぼくの知らない、気づかなかったデリダがいろいろあって、
それなりに楽しめる。
 
さて、シュタイナーの訳書が2冊でた。
・高橋巌訳『シュタイナー 宇宙的人間論』(春秋社)
・西川隆範訳『身体と心が求める栄養学』(風濤社)
 
前者は、toposのHPにもすでに登録されている
yucca訳の『創造し、造形し、形成する宇宙言語の協和音としての人間』と同じ。
できれば別のものを訳してほしかったところだが、
高橋巌訳のいいのは、基本的に連続講義を訳してくれることだ。
その点、今回もいろんなところの寄せ集め訳の西川隆範訳は
連続講義でしかわからない文脈が捨象されてしまっていているので
いまいちフラストレーションがたまるところがある。
 
さてさて、今日の音楽は、アファナシェフの弾くリスト・アルバム。
ピアノ・ソナタロ短調とあと悲しみのゴンドラII、不運など
今ままであまり聞いたことのなかった晩年の作品が収められている。
2001年に発売されていたアルバムのようである。
 
テンポの遅いといわれるアファナシェフだが、
このピアノ・ソナタロ短調は41分38秒。
このアファナシェフの演奏がでるまでは、
プレトニョフの33分46秒だったというから確かに遅い。
しかしその41分38秒のなんと充実していることか。
 
アルバムには、アファナシェフの「綺麗は汚い」と題した解説?が載っているが、
アファナシェフらしく、たとえば「重みは、軽みの根/静謐は、騒擾の支配者」
というふうに訳されている老子の道徳経が引かれていたりする。
リストのあの独特の美しいメロディーと
デモーニッシュなところとがヤヌスの鏡のように
相反しながら融和していく、というか、
アファナシェフの表現力を、デリダの否定的脱構築的なディスクールと比べるのは
エラーかもしれないが、どこかそんな文学的・演劇的な音楽を楽しめるところがある。
とはいえ、デリダはやはりなんだかんだ言っても読みにくいが、
アファナシェフは聴くたびにスリリングな喜びを感じることができる。
 

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