風日誌

今年の変化をふりかえる


2004.12.4

 

風日誌 2004.12.4
 
・今年もはや12月
・今年の変化をふりかえる
・自分は視野を広げることができているか
 
今年も最期の月、師走、12月を迎えることになった。
すでに仕事では来年のことが多くなっているので
平成16年と平成17年、2004年と2005年の表記で
思わぬうっかりがでてしまうこともあったりする。
先週もタタキの段階の企画書ではるけれど、
ついつい今年が2005年であると勘違いして
来年を2006年と表記してしまったりもした。
 
今年をふりかえるとか、10大ニュースとかいうことが
この時期くらいからいろいろ話題にされたりもするが
個人的にいうとふつうはそういうことをあまり気にしてなかったりする。
とはいうものの、今年は転勤などもあったりで環境の変化もあり
最近では長い一年だったかもしれないとあらためて思う。
 
こうしたネット関係では今年はかなりさぼりがちな一年だったように思う。
書くということにあまり積極的なほうではないし、
もちろん得意でも好きでもないので、
いろんな新しいことに出くわしたりすると
そちらのほうに時間と意識が向かうようになって
あとはぼんやりするだけになってしまう。
けれどむしろそういうときのほうが
いろんなことを感じたり考えたりもすることが多い。
 
ふりかえってみればここで紹介しておきたかった本や音楽やらが
たくさん「積み残し」されているような気もするので、
忘却の彼方にいかない今年のうちに
その一部だけは少しメモしておこうかと思っている。
 
今年の個人的な変化のなかで比較的大きかったことを挙げてみると
まず十何年かぶりでテレビを比較的見るようになったなあと思うのがある。
子どものころはほんとうにテレビばかり見ていたのが
一週間に一度も見ないこともあったりした。
それがそんなに長い時間でもないけれど
ここ数ヶ月は一週間に数日は見てみるようになった。
ひょっとしたらオリンピックがきっかけになったのかもしれない。
 
とはいえ、個人的にいえばオリンピックにはそんなに関心は向かなかった。
それよりも、台風と地震のニュースのほうが目が離せなかった。
そう、今年は災害の日本列島だったのだ。
大地は揺れ、風と雨で列島が揺さぶられている。
 
そんななかで、海の向こうの韓国からの
ヨン様ブームが日本では今年最大の事件だったといえるのかもしれない。
変化は背景で準備されていたといえるのかもしれないが、
どこかで大きく肩を押すような衝動というのが必要だというのが
あらためて実感される。
イラクでの事件も相変わらずだけれど、
そういうこともふくめて今年はある種のエポックが
集中して起こった年だといえるのかもしれない。
 
そうしたなかで重要なのは
自分がいかに今までよりも視野を広げることができたか
ということだろう。
それだけは毎年ふりかえってみる必要がある。
 
もし子どもをみて、自分が失ってしまったものを実感するとしたら、
どこかで自分の視野が狭まっていると思ったほうがいいのかもしれない。
もちろん気づかないでいるよりはいいのだけれど。
シュタイナーもいうように、今の自分には、今の生だけでも、
これまでの数十年のさまざまが生きているはずなのだ。
もちろん年齢によってその出方はさまざまではあるけれど、
少なくとも年をとるごとに開かれていくようにならなければ悲しい。
偏見が強くなるというのもやはり悲しい。
クリシュナムルティのいう条件づけということでもある。
日々自分を自由に向けて開いていくことができているかどうかだけは
いつも自分のなかの基準にしておきたい。
 
それはともかく、今年の変化のいくつか。
もうひとつが、システム10.3の載った新しいMACとi-Pod
とくにi-Podはぼくの音楽視聴スタイルを大きく変えることになった。
こういう技術面での変化というのは無視できない。
そもそもこうしたパソコンやネットの出現による変化も大きい。
そうした変化に流されないで、つまり機械に使われないで、
それを自分なりに道具として使えるかということが
現代においてはきわめて大きな課題だといえる。
 
ぼくの物心ついたころはまだテレビがめずらしかったりした。
カセットテープとかいうのもやっと中学の頃ポピュラーになった。
それがあれよあれよというまに、CDが登場し、
そして大学の頃やっとパーソナル用に出現したパソコン、
最初はモノクロモニターで日本語もカタカナ半角しかつかえなかったのが
これも毎年のように新機種が登場し、
CDを自分で焼けるどころかDVDとかまでできるようなった。
この極めて急速な変化をふりかえり、
同時に人間の認識そのものの変化を対応させてみると
いかにそのギャップが激しいかということがよくわかる。
 
おもしろいのだけれど、最近よく感じるのが、
ぼくは中学生の頃からポップスやロックなどをよくききはじめたのだけれど、
そのころの新鮮な「耳」が数十年たった今、
また別のかたちで最近あらためてぼくのなかに甦ってきたということである。
そういえば、ぼくのなかでもっとも、まるで蛹のように不活発だったのが
80年代だったことも今になってみればよくわかる。
20歳代である。
自分がそのころ何をしていたのかを考えてみたりもするのだけれど、
ほんとうにただぼんやりとしていたような感触が強い。
シュタイナーに出逢う前のことである。
それがある種ようやく動き出すのがシュタイナーを読むようになってからのこと。
やはりぼくにとってはそれまでは
ある意味で準備期間だったといえるのかもしれない。
 
・・・そんなことをふりかえってみる機会も
こうした時期だからなのだろう。
ときに、そんなさまざまを記しておくと
ずっと後になってまた別の変化のあったときに
なにか気づくこともあるのかもしれないと思い、記しておくことにする。
 
 

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