風日誌

世界の約束


2004.11.29

 

風日誌 2004.11.29
 
・世界の約束
・キリク
・神木隆之介
・言葉の落とし穴
 
まだ宮崎駿監督の新作「ハウルの動く城」は見ていないけれど、
主題歌の「世界の約束」を耳にした。
倍賞千恵子が歌っている。
歌詞は谷川俊太郎らしい。
なんだか小学生の頃に戻ったような気がした。
懐かしいメロディーと言葉たち。
 
映画のストーリーとも、歌詞とも関係ないだろうが、
「世界の約束」という言葉から
神秘学的な世界観を感じた。
 
なぜ世界はあるのか。
つまり私はなぜいるのか。
それはやはり「世界の約束」なのだろうという気がする。
だから、生きるということに意味がある。
もちろん死ぬことにも。
そして永遠ということも、今という永遠も含め、
それそのものが「世界の約束」なのだろう。
 
ところで、先日、昨年ジブリから配給された
フランスアニメの「キリク」のDVDをみた。
実は、キリク役の神木隆之介の声がききたかったのだ。
「ハウルの動く城」にも声優として登場している神木隆之介。
DVDにはアフレコ風景などの付録もついていたが、
このところこの神木隆之介という存在に引きつけられている。
おそらくこういう存在はこれまであまりいなかったように思う。
こういう存在たちが現代日本に生まれてきていることを思えば、
これもまた「世界の約束」なのかもしれないという気がしている。
そして世界が変わろうとしているのもまた「世界の約束」なのだろう。
 
ところで、「キリク」には、魔女カラバの声の役をしている浅野温子が
アフレコ風景のなかでこだわっているところが紹介されていておもしろかった。
それは、魔女カラバが、男たちはみんな結婚すると女性を召使いにしようとする
と語る場面に共感するところである。
 
ぼくにも結婚したら態度が変わるというのは
理解不能なところがあるので、
女性の立場からみるとそういうところがあるのだろうと思う。
しかし女性にしてみても結婚後そういう態度をとる男性であるかどうかは
予想がつくはずのことを考えてみなかった責任もあるのだろう。
ともあれ、そういう変化があるとしたら悲しいものだと思う。
おそらくそれぞれがみずからの内に
女性性と男性性をもっているにもかかわらず
それをどこかでスポイルしているがゆえに
そういうことになるのかもしれない。
 
ところでこの一週間ほど書かないでいると
書かないということがかなり楽なことであることがわかる。
というか、書くということでなにかが固定されてしまうような
そんな状態から自由であることができるということである。
むしろ書かないでいることで
さまざまな二元性のようなあり方から自由であることができる。
言葉というのは何かを固定させてしまうのである。
言葉は権力であるというのはそういうことでもある。
 
そういう意味でも、書かないでいる時間、
言葉を発しないでいる時間を大切にしなければならないと思う。
そうでなければ、自分という存在の「開け」の可能性を
どこかで閉ざしてしまいかねないところがある。
「驚き」というのも言葉にはならないものなのだ。
学校の作文で「素直に書きなさい」といわれて
それがひどい嘘に感じられたのもそういうことなのだろう。
実際、人は嘘をいわずに言葉を使うことはできない。
少なくとも自分は嘘をいっているという意識を持っていないと
その言葉は無自覚な権力を持ってしまうことになる。
 
そういう意味でも、こうして書く言葉は
「書けない」「表現できない」というところから出発するのだ
ということを忘れてはならないのだろうと思っている。
 
 

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