風日誌

トラブルから「問い」へ


2004.11.23

 

風日誌 2004.11.23
 
・トラブルから「問い」へ
・「問い」が自分という存在を表現している
・宇梶剛士と神木隆之介
 
 
自分をふりかえってみてもよくわかるのだけれど、
なにかトラブルなどが起こらないと
自分から積極的に問いをもつことは思いのほかむずかしい。
 
もちろんトラブルが起こったからといって
それそのものが問いを喚起してくれることは稀で、
なぜそういうことが起こったのかを問えるだけの
心構えなり準備なりが必要なことのほうが多いのだが、
冬の朝、布団のなかからなかなかでられないように、
とくにものぐさのぼくようなタイプは
外からなんらかのゆさぶりをかけることが
必要なときがあるのだろう。
 
このところどうもぼくにもトラブルが多い。
致命的にどうとかいうほどのことではないのだけれど、
ケアレス的なものが多発している。
自分のケアレスもあるけれど、それだけではなく
たとえば宅急便を受け取ったビルの管理人が
荷物を紛失してしまうような事件さえ
仕事のなかで起こったりもする。
その管理人は責任をとる必要があるのはもちろんだが、
そういうものを誘発してしまうようなところが
シンクロニシティ的にあるのだろうという気がする。
 
そうした小さなことだけではなく、
社会的な事件や天変地異のような大きな事件なども
おそらくは自分と無関係なことは何もないのだろう。
世界に起こっていることすべては、縁起的にいって、
自分とどこかで関係していて、
そこに「問い」をもつよう求めていると考えてみることが
必要だということなのだろうと思う。
 
そしてどんな「問い」を持ち得るかということが
ぼくという存在を如実に表現しているといえるのかもしれない。
さて、ぼくは今どんな「問い」を持ち得るのだろうか。
それをつねに意識しておくことで、
少しでも自分の愚かさを防ぐことができればと思うのだが…。
 
さて、最近の「ほぼ日刊イトイ新聞」で感動した記事など少し。
映画「お父さんのバックドロップ」で
プロレスラーとして奮闘する父を演じた宇梶剛士と
http://www.1101.com/backdrop_del_mio_papa/ukaji-001.html
その息子役の神木隆之介へのインタビュー記事。
http://www.1101.com/backdrop_del_mio_papa/index.html
 
とくに「千と千尋の神隠し」でも「坊」の声を演じた
11歳の神木隆之介には、かなり驚いた、というか、
これからの時代の可能性のひとつを感じた。
ぼくのようなある種の屈折で存在している存在様態とは
まったく違った、ヌケのいい智慧を感じてしまう。
その智慧は過去にあった智慧の形ではおそらくなく、
ある種のプロセスの結果において生まれた可能性なのだという気がする。
 
 

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