風日誌

藤澤令夫さんの死を知る・モナド


2004.11.01

 

・藤澤令夫さんの死を知る
・個人の変化と世界の変化
・個人のカルマと世界のカルマ
・モナド
・イザーイ
 
内山勝利『対話という思想/プラトンの方法序説』(岩波書店)の
あとがきを読んではじめて、哲学者の藤澤令夫さんが
今年の2月に亡くなっていたことを知った。
 
藤澤令夫さんには、プラトンをはじめ、
ギリシア哲学や演劇などの翻訳をはじめ
さまざまな著書があり、
ぼくとしてはそんなに読み込んでいるとはいいがたいが
少なからず影響を受けているのは確かである。
そういう方が亡くなるというのは、
ある時代の変化を少なからず象徴しているといえる。
 
今年日本列島を襲っているさまざまな災害もまた
なんらかの変化を象徴しているといえるのだろう。
 
変化にはさまざまなものがあるが、
その変化をみずからの変化と重ね合わせながら、
その向こうにあるものを想像してみること。
 
個人における変化と
個人を超えたところにある変化と。
カルマにおいても、個人におけるカルマと
共同のカルマというのがある。
 
ライプニッツは「モナド」ということをいった。
モナドには窓がなく孤独であるが、
世界中はモナドで満ちあふれ、夢見、
作用を及ぼし合っている、という。
まるで表面が鏡面の球が
世界を映しだしあっているようなイメージもある。
 
ぼくというモナドに映っている世界のことを
ぼくはどれだけ知ることができているのだろうか。
そんなことを思ってみたりもする。
 
ぼくという時間を生きている今を微分してみようか。
それとも積分してみようか。
あるいはぼくという関数にxを代入して
世界をそこから流出させてみようか。
 
こんなことをとりとめもなく思っているときの音楽には、
言葉のない響きがぼくのなかの深い場所をふるわせてくれる
無伴奏バイオリンなどが似合っていたりする。
そういえば、今日は、イザーイなどを聴いていたりもした。
 
 

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