風日誌

台風一過新潟地震・リペイトリエイション


2004.10.23

 

・台風一過新潟地震
・リペイトリエイション
 
ようやく台風が通り過ぎたと思ったら、
今日は地震の日になってしまった。
新潟からは遠く、直接被害があったわけではないが、
ニュースを見ていると激しく疲れが襲ってくる。
 
人間が揺れているときには大地も揺れるのかもしれない。
そうして人間の情動が激しく揺れているとき
風も雨もまた激しく打ち寄せる・・・。
 
今日も星野道夫のことばと写真につきあっている。
『森と氷河と鯨/ワタリガラスの伝説を求めて』(世界文化社)に
「リペイトリエイション」の会議のことがでてくる。
それはこういうことだ。
 
	一九世紀から二〇世紀にかけて、西欧の博物館のコレクター、人類学者
	たちは、世界中の遺跡や墓地を発掘しながら無数の埋葬物を収集し続け
	てきた。そして二一世紀を迎えようとする今、墓を発掘された民族の側
	から、人骨を含めたすべての埋葬物を元の場所に戻してほしいという運
	動が高まってきたのである。元の場所とは、かつて人々がさまざまな思
	いを込めて埋めた土の中に、である。クリンギット族を含めたアラスカ
	の先住民もまたその例外ではなかった。その流れは世界中の博物館を震
	撼させていた。なぜならそれはきわめてあたりまえな要求だったからで
	ある。
 
	・・・
 
	リペイトリエイションとは、この世を心としてとらえるか、それとも物
	としてとらえるか、その二つの世界の衝突のようにも思われた。人類学
	者が、墓を掘り返し、骨を収集し、その研究をするという行為をクリン
	ギット族の人々はおそらく理解できないだろう。そしてその逆に、人類
	学者は霊的世界の存在を本質的には信じることができないのかもしれな
	い。
	(P79-82)
 
霊的世界を信じるから墓・・・というのは
ある意味ではすでに過去のものだともいえるのかもしれないし、
むしろ遺伝的な継承のほうに近しいものであるために
「墓を掘り返し、骨を収集し、その研究をするという行為」の
裏の側面だということもできるのかもしれないが、
ある種、たしかにそういう行為は愚かで冒涜的なことだということはいえる。
いったいそういう方法で研究して何がわかるというのだろう。
まさに「きわめてあたりまえな要求」なのだから。
 
しかし、人のいわばアイデンティティというのは
いったいどこに求めればいいのだろうか。
ぼくにとっては、すでにもはや民族云々という継承部分は
すでに壊れていて、そこに何かを求めることはできないのだけれど、
星野道夫がアラスカに住みそこでつきあってきた人たちの
その感動的なまでの生き方には深い意味があるのも確かである。
 
過去はすでに過去であって
そこに戻ることは意味がないが、
おそらく過去から継承されたさまざまな豊かさを
あらためて再獲得(再創造)していくことにはおそらく深い意味がある。
それはすでに過去ではないからだ。
 
おそらくリペイトリエイションの意味は
そうした過去を、過去を継承した人たちが葬り、
そこからあらたなものをつくりあげるための
何かとしていくということなのかもしれない。
 
「霊的世界の存在」にしても、
それをどうとらていくかということは
それに似ているのかもしれない。
過去へ戻る衝動としての霊的なものへのアプローチではなく、
未来へつなげるものとしてのそれへ。
 
シュタイナーが、過去を継承したのではなく、
さまざまな領域を精神科学的に拡張しようとしたというのも
そういうことなのだと思うのだ。
 
 

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