風日誌

デリダの死・松岡正剛の手術


2004.10.10

 

・デリダの死
・松岡正剛の手術
 
「脱構築」の人、ジャック・デリダが亡くなった。
74歳だった。
自殺だったドゥルーズとは違い、膵臓ガンによる病死。
 
デリダをそれほど読み込んではいないので、
デリダの哲学の真価をこうだということはできないが、
デリダが亡くなったというのは、
時代の変化を象徴しているといえるかもしれない。
 
脱構築してやる!というのは
ちょっとした流行語にさえなったこともあるけれど、
それがとらえられていた次元というのは
ある意味、同次元的な組み替えを超えることが
なかなか難しかったといえるのかもしれない。
 
シュタイナーの精神科学が脱構築と異なっているのは
認識の多次元的な拡大ということがその基本になっているところだろう。
シュタイナーが、現在の科学を否定するのではなく、
それを拡大するものだといっていたのはそのことである。
つまり、今見えているものは、見えていない次元を含めてのそれであって、
今見えているものがどれほどの認識的範囲を射程としてもっているかが
問われなければならないということでもある。
だから、精神科学を探求することによって、
視野狭窄になるというのは、まったくの矛盾でしかないはずなのだ。
 
ところで、「千夜千冊」の松岡正剛が退院した。
退院したというのは入院していたということである。
 
ガンの手術の入院の経緯等については
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1001_4.html
退院後の報告に関しては
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya.html
 
松岡正剛という人は、
あれほどに自在に素粒子のようなふるまいさえも
可能なほどの思考を駆使したりもする反面、
こうした側面においてはかなり即物的になる。
基本的に、シュタイナーのいうような
物質が何であるかわからない唯物論と変わらなくなってしまう。
だから「千夜千冊」のシュタイナーのところでも
とんでもないようなわからなさを露呈してしまうことになる。
 
しかしこういうとんでもない矛盾のようなものを
そのまま抱え込んでいるというのが
松岡正剛の松岡正剛たる所以だともいえるのかもしれない。
松岡正剛から示唆されるものは途方もない大きさであるが
また、その示唆が突然失墜してしまうようなところを見落とさないこと。
そのことで見えてくるものもまたあるということだ。
 

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