風日誌

矛盾を生きること/立命


2004.10.07

 

・矛盾を生きること
・立命
 
ぼくは「イベント業務管理士」という
ちょっと変な資格をもっていたりして
いろんなイベントのディレクターをすることもある。
 
しかし、イベントというと
人をたくさん集めるというのが相場なので
人のたくさんいるところが好きじゃないぼくが
そんな仕事をしたりもするというのは矛盾している。
そもそもそういう資格も好きでとったものではない。
仕方なくとることになっただけのもの。
 
昨日も、テーマ的にあまり乗り気のしないイベントの仕事をしていた。
教育者を対象とした人権のセミナーイベントである。
なんでこんなテーマをやらなくちゃいけないのか
と疑問に思いながらも、コンペで獲得した仕事でもあり
やる以上はちゃんとしなくちゃということで頑張ることになった。
 
しかしこういう機会があると
そういう「業界」で「人権」と称するものが
いったいどういう通念でいわれているのかを理解し
その傾向と対策を研究した上でコンペに臨むことになる。
 
やはり疲れた。
昨日は終わってから半ばノックダウンしていた。
ぼくがいちばん疲れるのはやはりイベントで
一日中いろんな人のなかでいろんなひとを指図したりして過ごすのは
かなりなストレスになる。
 
こういうときには
いわば、人生に矛盾を感じてしまう。
なぜ嫌なことをしなければならないのかという矛盾。
 
ぼくがたぶん可能ならばそうありたいと思っているのは
静かに自分の望んだテーマでの研究生活を送ることである。
それができればどんなにいいだろうと思う。
 
けれど実際に自分のやっていることといえば
それとはほど遠く、人のなかであれこれする仕事。
CMもよくつくるがそういう表現方法もそんなに好きだとはいいがたい。
コピーも比較的たくさん書いたりもするけれど
書くことが好きかといえば決してそんなことはない。
パソコンでもなければ面倒で書けたものではない。
 
しかしおそらくそういう矛盾のなかでこそ何かが学び得る。
そういうことがぼくという魂のひとつのスタイルになっているのかもしれない。
ある意味ではマゾのようなあり方かもしれないけれど(^^;)、
まあそれも自分を戯画化しながら遊び感覚でできるようになれば
それはそれでいいことなのかもしれない。
もちろんいまのところは、戯画化する前に
矛盾のなかで沈没しかけることもままあったりする。
 
やれやれだけれど、矛盾があまりにないと
なにかに気づくこともできないだろうから
ぼくの許容範囲のすれすれのところで
矛盾を生きることになるということ。
それを別名、カルマとも呼ぶのかもしれない。
そしてそのカルマに飲み込まれてしまうのではなく、
それを踏まえながらも積極的に生きることを
安岡正篤的にいうならば「立命」という。
 
今のところは到底「立命」しているとはいえないけれど
なんとかまずは、矛盾を拒否するのではなく、
矛盾を生きることを積極的にとらえてみることで
見えてくるものが何かを見据えてみることにしたいものだ。
 
 

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