風日誌

天動説と地動説/常識を問い直すこと/携帯電話


2004.09.23

 

・天動説と地動説
・常識を問い直すこと
・携帯電話
 
小学生の4割が天動説が正しいと答えたという調査。
少し驚きはしたけれど、どうなんだろうという感じもある。
天動説と地動説。
 
いまだに天動説が正しいと思っている!
とか驚くことはできるとしても、
ふつうどれだけその違いをちゃんと考えようとしている人がいるのだろう。
 
地球のまわりを太陽がまわっている、ということと
太陽のまわりを地球がまわっているということ。
それがなぜそうなのかを自分でちゃんと説明できることを前提として
いまだに天動説が正しいと思っている!と驚いているのだろうか。
ほとんどが「常識」から外れている以外のものではないという気がする。
 
そういう「常識」というのがどれほどあるかを見てみると
ほとんどのものがそうだということがわかる。
しかもそれらの「常識」は、調べればわかる、というものだけではなくて、
調べれば調べるほどに考えれば考えるほどに
よくわからなくなってくるもののほうが多いとさえ思える。
 
ほんとうはみんなそういうことを薄々知っているものだから、
「常識」や「慣習」やら「規範」やらというものを纏って
できるだけそういうことについては問わないようにして生きているのだろう。
そのほうが安らかに生きられるということなのかもしれないが、
それがさまざまな差別や戦争などを引き起こすもとになっている可能性も
少なからずあって、もしそれをなんとかしたいと思うのならば
まずみずからのそうしたものを問い直すことが必要なのだろう。
Love&Peaceを掲げることはたやすいけれど、
みずからの「常識」を疑うことは思ったよりも難しい作業である。
 
しかしせめて何か問いを持ち得る状況などに行き当たったときには、
またマスコミなどがさもあたりまえそうに垂れ流しているものを疑って
それらの根底にあるものを見直してみる必要があるように思う。
それもまた「神秘学」的な姿勢だといえる。
 
さて、仕事上どうしても避けられず
とうとう携帯電話を買ってしまうことになった(無料だったけれど)。
今までも否応なく古いPHS(7年前の機種)だけは
もっていたのだけれどほとんど使わずにいた。
電話はどうしても好きになれないのだ。
だから仕事では電話は夥しく使うが
プライベートになるとほとんど電話は使わないし、
できるだけ電話のない状態を好ましいと思っている。
今回購入するはめになった携帯電話もいちおう使い方は学習するが
おそらく仕事などで必要とするときなど以外は
ほとんど使わないことになるだろうと思う。
 
しかし街をながめると、携帯電話をめぐる風景は
人がいるところではどこにでも見られるようになってさえいる。
携帯で話ながら歩いている人、運転している人。
メールを打ちながら歩いている人。
なんでそんなに話すことやメールをすることがあるのだろう。
・・・ということについては、すでに驚くことさえできなくなっているけれど、
「O型はいつもさみしい」というのがあったけれど、
もちろん血液型ではなく、たぶんみんな寄る辺なく、
なにかとつながっていないと落ち着かないのだろう。
しかしつながっているというというのは麻薬のようなつながり方なので
結局のところ阿片中毒のような状態になっているともいえる。
 
マニュアルを見たり、
いろんなメニューをみたりしていても、
まあ、よくこれだけ小さなものに
いろんな機能を詰め込んだものだと感心させられはする。
戦争が科学を発達させる、とはよくいわれるが、
販売合戦という市場経済の基本をエスカレートさせていくと
こういう技術もどんどん発達してくる。
そして、それが「常識」になって、
なぜそれが必要なのかさえ考えなくなってしまう。
 
ぼくくらいの年代だと、小さい頃、テレビがモノクロからカラーになって、
カセットテープが普及しはじめ、やがてCDが登場し、
そして大学の頃パソコンの走りが登場し始め
やがてはそのパソコンがみるみるうち多機能になり、
電話回線を使ったインターネットもものすごいスピードで普及してきている。
まさに「道具に使われている」状態がどんどん進んできているわけである。
「なぜそんな道具が」と考えるまもなく、
「便利だから使う」というのが進んでくる。
 
しかし人間の感覚やその能力というのは
基本的にそんなに変わるわけではない。
やはりこういう時代になってきているからこそ、
「十二感覚」というのをちゃんと考えながら
その感覚を深めていくことをしていく必要がありそうである。
 
 

 ■「風日誌」メニューに戻る
 ■「風遊戯」メニューに戻る
 ■神秘学遊戯団ホームページに戻る