風日誌

ボーダー/歎異抄/催眠術


2004.09.14

 

・ボーダー
・歎異抄
・催眠術
 
毎日毎日、あまりに考えさせられることばかりで困ってしまう。
 
宅間守死刑に対する刑の執行もそうだ。
「自分が生まれてこなければこんなことは起きなかった」
「子供の立場に立てば無念やったろう」
「自分のしたことで不幸になった人がいるのは分かる」
という言葉はやはりあまりに重く複雑である。
 
先輩の子供を虐待、誘拐して殺害した下山容疑者。
イラク大量破壊兵器の発見断念を公式表明 したパウエル米国務長官。
JOCに代替の金メダルが届き23日には室伏に授与される。
そしてアヌシュは金メダルを返還する意向、とか。
浅間山も小規模ながらまた噴火。
 
そうしたすべてが続々と、今この世界で起こっている。
この世界で起こるということは、
どんなことでもぼくにまったく無縁のことはないはずである。
だから同じ世界に生きている。
信じられないような悲しいことでも無関係ではない。
 
そうしたさまざまなことをまともに受け止め続けたとしたら
とうてい正気ではいられそうもないのだけれど
ぼくはいい加減な分、なんとか平衡を保っていられるのかもしれない。
忘れることもできるし、
忘れることができなくても、気にしないようにすることもできる。
もちろん忘れることも、気にしないこともできないことはたくさんあって
それだけでも十二分にぼくには耐えがたいスレスレのところで生きている。
 
その揺れている境界線上のこっち側にぶら下がっているか
向こう側にいってしまうかは、おそらくそんなに距離はない。
ほんとうに微妙なボーダーラインにおそらくぼくもいる。
 
唯円の『歎異抄』にこうあるように
すべては「縁」のことなのかもしれない。
 
        往生のために千人ころせといはんに、すなはちころすべし。
        しかれども、一人にてもかなひぬべき業縁なきによりて、
        害せざるなり。わがこゝろのよくて、ころさぬにはあらず。
        また害せじとおもふとも、百人千人をころすこともあるべし…
 
しかし、要はその「縁」なのだろう。
 
シュタイナーの翻訳新刊『こころの不思議』(風濤社)のなかに収められている
「心と精神」と題されている講演に催眠術の話がでている。
 
        催眠術師の精神、催眠術師が考えること、催眠術師の思考から
        発するものが、催眠術にかかった人の行動に直接作用します。
        その人の身体は自動的に、催眠術師の精神の命令に従います。
        なぜ、命令に従うのでしょうか。心魂が除外されているからで
        す。心魂が身体と精神のあいだに入っていないからです。心魂
        が快と苦を伴って活動し、苦痛を感じる能力、単純な知覚能力
        がふたたに現われると、心魂はその命令を実行すべきか、他人
        の思考を受け入れるかどうかを、決定します。
 
マインドコントロールというのも、
こうした催眠術の一種なのかもしれない。
そしてそれは比較的短いスパンでも起こりえるし、
非常に長い、ある意味で繰り返される転生のスパンでさえも起こり得る。
 
今すぐになにもかも解決できるわけではなく、
まわりで起こっているさまざまことなどのまえで
途方にくれざるをえないのだけれど、
少なくとも、今、催眠術にかからないようにすることや
人を害する種をできるだけつくらないという試みだけは可能かもしれない。
ほんの些細なことにしても、ボーダーをわずかに移動して
崖っぷちで踏みとどまることもひょっとしたらできるのかもしれない。
そうしたことの積み重ねがなにかを可能にすることもあるのかもしれない。
 
毎日さまざまなことを見聞きし考えさせられながら
それでいていい加減に忘れたりもしながら
ときに踏みとどまって気の狂わない範囲で
なんとかじっと考えてみたりもすること。
 
しかし、それにしても・・・である。
 
今、仕事で児童虐待防止のためのTVCMをつくっているところなのだけれど、
そのCMをみてなんとかボーダーを超えないでいてくれたら、と
あらためてそのCMがどのように伝わるかを
あらためて真剣に考え直してみたりもしたいと思っている。
せめてそういう可能性が万に一つもあるならばと。
 
 

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