風日誌

富岡鉄斎・モーツァルト・ベンヤミン


2004.09.04

 

風の音楽日誌2004.09.04
 
・万歩書店
・富岡鉄斎
・モーツァルト
・ベンヤミン
 
岡山の郊外には万歩書店という巨大な古書店が随所にある。
古本市場とかブックオフとかいう類の古書店ではなく、
古いタイプの古書店を巨大にしたという感じのもので、
たまに時間があるとその巨大な迷路のような本の山を経巡る。
通常の書店にはすでに存在しなくなった本がたくさんあり
図書館でも隠れた書庫でしか見られないようなものも見つかる。
 
昨日見つけたのは、ぼくの生まれた頃に「吉川弘文館」から出されてい
た日本歴史学会編集の「人物叢書」のなかの小高根太郎『富岡鉄斎』。
定価280円よりは少し高かったけれど、文庫本ほどの値段。
富岡鉄斎の比較的詳細な伝記になっていて、
これまで画集などでふれられているよりもずっと詳細である。
 
鉄斎の画歴は70年ほどあって、
その製作年代をおおよそ三期に分けるとすれば
前期が50歳頃まで、その後70歳までを中期、
80代を晩期とするのが妥当であろうと著者は書いているが、
80歳を越えてますますその筆が冴えるというのはやはりすごい。
しかも自分は学者であると自任し、
画工であると見られることを嫌っていたという。
 
ぼくはまだ何も始めているとはいえないのだけれど、
もし鉄斎のように90歳頃まで生きているとして
80歳を越えてなにが自分なりにできていることがあれば
いいだろうなと思うのだけれど、果たして何ができるだろうか。
しかし大器晩成にしても、少し遅すぎるか(^^;)。
 
先週は、音楽エポックとして、
ひさびさモーツァルトを聴き、
モーツァルトに関する書籍などもいろいろ読んでみていたのだけれど、
モーツァルトはこのぼくの歳になる10年前にはすでに亡くなっている。
早熟というか天才というか、鉄斎とは対照的なタイプで、
そういえばどちらも水瓶座である。
しかし早熟であればいいというのでもなく、
また長く生きればいいというわけでもないようだけれど
ぼくはどうも少なくともモーツァルト的な天才とはかけ離れているようなので、
せめて小器でも少しは晩成できる方向をめざしてぼちぼち、という感じ。
 
ところで、先週は、水瓶座ではなく、蟹座のベンヤミンなども
ひさしぶりに読んでみてもいた。
ベンヤミンは70年代の後半、
晶文社からでている「ベンヤミン著作集」を買い求めて
読んでいた頃もあるのだけれど、
やっとこさそういう類の書籍を読み始めた頃だというのもあって
その頃流行り始めていたデリダやドゥルーズ、フーコーなどとともに
わかった気になりたかった時代でもあったので、
その後四半世紀を経てようやく以前に比べて
少しは読めるかなというようになっていて
なかなか気の長い話ではあるような感じがしている。
 
それはともかく、ベンヤミンが強制連行の直前に服毒自殺をしたのが49歳。
鉄斎やモーツァルトとはまた違ったタイプの人だとはいえるし、
ぼくも49歳でそういう感じの死に方はしたくないなあとは思う。
それにベンヤミンを読んでいると半ばはとても感動するのだけれど、
どこかある種の違和感を感じてしまうところもあって、
おそらくそれはメシアニズム的なところが常に響いているような
そんなところなのかもしれないとも思う。
とはいうものの、歳に応じて受容できる部分が
これまでとは少し違ったところでぼくのなかで響いてくるところがあるので、
しばらくは付き合ってみることになるという気がしている。
 
ちなみに、松岡正剛の千夜千冊の第九百八夜に
ヴァルター・ベンヤミン『パサージュ論』がとりあげられていて
あらためて読み返してみるといろいろ腑に落ちたことがあった。
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0908.html
この『パサージュ論』はまだ読んでいないのだけれど
文庫にもなっていることだしそのうち読んでみることにしたい。
 
少しメモがてら引用しておくことにしたい。
 
        パサージュとは「移行」であって「街路」であって「通過点」である。
        境界をまたぐことである。ベンヤミンはパサージュへの異常な興味を
        ことこまかにノートに綴り、そしてそれを仕事(Werk)にした。だ
        から『パサージュ論』は本というより、本になろうとしている過程そ
        のものだ。しかし「本」とは本来はそういうものなのである。
         ベンヤミンはこう書いた、「パサージュは外側のない家か廊下であ
        る、夢のように」というふうに。
         この夢はベンヤミンの関心では「集団の夢」というもので、時代社
        会の舞台としては19世紀の都市におこったことをさしている。そのこ
        とをベンヤミンは「19世紀とは個人的意識が反省的な態度をとりつつ、
        そういうものとしてますます保持されるのに対して、集団的無意識の
        ほうはますます深い眠りに落ちていくような時代なのである」と説明
        した。
        (・・・)
         もともとベンヤミンは「個人にとって外的であるようなかなり多く
        のものが、集団にとっては内的なものである」ということに関心をも
        っていた。
         個人の内部性と集団の外部性を問題にしたのでは、ない。逆である。
        個人の外部性と集団の内部性に関心をもったのだ。それがベンヤミンの
        「集団の夢」なのだ。
        (・・・)
        ベンヤミンはさきほど述べた「個人にとって外的であるようなもの」
        と「集団にとっては内的なもの」との線引きに関心をもつ。
         そして、その線引きを「敷居」(Schwelle)とよんだ。ファンタス
        マゴリな閾値をともなう敷居である。
         のちにヴィフリード・メニングハウスがベンヤミン論でそう述べてい
        るのだが、ベンヤミンの業績のすべてにお節介な学問の名をつけるとす
        れば、それはやっぱり「敷居学」というものなのだ。
         しかし、意外にもベンヤミンは敷居そのものではなく、また個人が敷
        居を跨ぐ意識のことではなく、そのような敷居をつくった都市や百貨店
        や商品の現象のほうに記述の大半を費やした。それゆえ誰しも感じるこ
        とだろうが、『パサージュ論』を読む者が驚くのは、その都市の敷居が
        トポグラフィックにも、精神科学的にも、また現象学的にも文学的にも、
        個人の意図も集団の意図も消しているということなのだ。
         ベンヤミンは敷居(たとえば門や呼び鈴)に意味を与えようとしなか
        っただけでなく、敷居を通過させるようにした装置そのものにのみ関心
        を注いだのである。
 
現代における「集団の夢」とは・・・。
 
 

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