2今朝、ベランダにアブラゼミの死骸が転がっていた。 そういえば昨夜喧しく鳴いていた蝉だろうか。 ひろいあげて、すぐそばに置いてみた。 まだ、いまにもまた飛んでいきそうな蝉の姿。 そういえば夏も過ぎ去ろうとしているのだとあらためてのように気づく。 店頭からは西瓜も少しずつ姿が消えはじめ桃や葡萄、そして梨が増え始める季節。 ■佐野眞一『阿片王/満州の夜と霧』 阿片王といわれたという里見甫のことを知らなかった。 そういえば満州のついてどれほどのことを知っているだろうか。 石原完爾、甘粕正彦。 里見甫はA級戦犯として東京裁判に出廷したがなぜか釈放される。 そこにはやはり阿片の利権が絡んでいたのだろうか。 いやそういうことよりも、読み進むにつれ あの時代を生きた里見甫という人物そのものが 不思議な感触をぼくのなかでつくりだしていくのが面白かった。 あらためて佐野眞一という人の一級の書き手のすごみを感じた。 石原完爾といえば、福田和也の『地ひらく/石原完爾と昭和の夢』がいい。 昭和が終わってもう17年も経ったことにあらためて驚いている。 甘粕正彦についてはあまり詳しく読んだことはないが 詳しい伝記的な著作を先日書店で見つけたのでいずれ読んでみよう。 ■リリー・フランキー『オカンとボクと、時々、オトン』 雑誌en-taxiに連載された自伝的小説。 リリー・フランキーについて興味をもったのは 昨年ほぼ日関連のラジオ出演の記録をきいてからのこと。 その飄々とした哀愁が気になって少しその書かれたものを読み始めていた。 こういう本がけっこう売れているというのが ある意味時代の飢餓感のようなものを象徴しているのかもしれない。 「家族幻想」とその崩壊云々がいわれるなかで、 いわば「標準的な家族」というのがないというのが知れることと そのなかでいわば古きよき親子の情とかも強烈に残っていたりするのが なんとも照れくさいような懐かしいような、そんな。 ■車谷長吉『銭金について』 車谷長吉を読み始めたのはつい最近のことだが、 晩年の白洲正子が小説で読むのはこの車谷長吉だったらしいが 読んでみるようになってその壮絶さにちょっとばかりふるえあがる。 詩人の高橋順子と結婚していることも知って そのやりとりやエピソードを読むのことでも ぼくのなかの感情や感覚やらが百鬼夜行しはじめることになる。 この『銭金について』は朝日文庫になっているエッセイだが、 そのものずばり「銭金」についてがテーマである。 お金について考えていくときには、 まあいろいろな見方ができていくのだろうけど、 いまぼくがお金について注目しているのは、 中沢新一のきわめて根源的なお金という働きについての見方と そうして「人はこの世にある限り、銭に首根ッこを圧さえられている」 というようなこの車谷長吉の銭金をめぐる見方である。 ■coyote No7 「動物園で会いましょう」 今回のcoyoteは「動物園」がテーマ。 前回は「植村直己」がテーマで奥さんのインタビューが面白かったが、 今回は筒井康隆なども登場する動物園の話。 筒井康隆がその父親の勤めていた天王寺動物園に出かける。 最初は固辞されたらしいがしぶしぶ了承してくれたという。 井上陽水やいしいしんじなども登場する豪華版。 そういえば、もう何年も動物園に出かけていない。 松山にいた頃は、砥部動物園とかにときおりでかけていたけれど、 やはり檻のなかの動物が少し息苦しく感じるようになったのかもしれない。 そのぶん、動物ではないけれど、その後は野外の山などによく出かけるようになった。 それはともかく、動物園というのは、水族館もそうだが、 ある種の感慨なしでは語れにくい場所なのかもしれない。 |
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