○個性と調和 ○高田文夫はあっぱれである ○池袋ウェストゲートパークとJimmy Hendrix このところ書くということに対してひどく消極的で、 ちょとした嫌悪感のようなものがあって消えるにはほど遠いのだけれど、 おそらく書き忘れているだろうことで、思い出したものを ちょっとだけ、まさにランダムにメモしておきたい。 しかし書かないときのほうが、いろんなものを吸収しているような気もする。 ぼくのなかでのある種の呼吸のようなものかもしれない。 ■個性と調和 法隆寺の最後の宮大工になった西岡常一さんの「聞き書き」より、 ちょっと感動的なことばを。 これらの建物の各部材には、どこにも規格にはまったものはありません のや。千個もある斗にしても、並んだ柱にしても同じものは一本もありま せんのや。よく見ましたら、それぞれが不揃いなのがわかりまっせ。どれ もみんな職人が精魂を込めて造ったものです。それがあの自然のなかに美 しく建ってまっしゃろ。不揃いながら調和が取れてますのや。すべてを規 格品で、みんな同じものが並んでもこの美しさはできませんで。不揃いや からいいんです。 人間も同じです。自然には一つとして同じものがないんですから、それ を調和させていくのがわれわれの知恵です。 (…) 人はみんな個性があって、それぞれ違いますのや。こんなことはみんな よく知っているはずでっしゃろ。耳が痛うなるほど、個性だ個性だという てはりますからな。人は木の一本一本と同じようにそれぞれが違いますの や。木は立っているときも違いますが、材にしても違いまっせ。 (西岡常一『木のいのち木のこころ(天の巻)』新潮OH!文庫/P.93-95) 「みんなちがってみんないい」のはずなのに、 どうしてみんないっしょの価値観を持たせようとするのだろうか。 山本七平さんの『空気の研究』にあったように 日本人はどうも「空気」に敏感で、というか、カメレオン的で、 「違う」ということを罪悪視する傾向にある。 そして「長いものには巻かれろ」、「寄らば大樹の陰」と利益にさとい。 長いものもあっていいし、大樹もあっていいのだけれど、 そうでなくてもいいではないかと、愚痴っぽく思うことのなんと多いこと。 ■高田文夫はあっぱれである 先日最終回を迎えた「タイガー&ドラゴン」にも登場していた高田文夫。 この人はやっぱりすごい。 笑いに人生をかけている。 あっぱれである。 尊敬に値する。 その高田文夫が1997年頃に行った 笑いの達人たちとの対談集『笑う二人』(中公文庫)を読んだ。 青島幸夫(当時都知事)のところ(庁舎)にでかけていって 「都知事のオールナイトニッポンってのやりませんか」とかいえる。 いい話である。 いい話が満載のこういう対談集はなかなか見つからない。 ■池袋ウェストゲートパークとJimmy Hendrix 宮藤官九郎の脚本になるかつて放送されていたテレビ番組 『池袋ウェストゲートパーク』をひたすら見る。 特番の「SOUPの回」もみたところ、 クレージー・ケン・バンドが登場していて、 「タイガー&ドラゴン」を歌っていた。 「俺の話をきけ〜」。 ここから「タイガー&ドラゴン」がはじまっていたのだと感動。 ついでに、原作の石田衣良『池袋ウェストゲートパーク』も読み始める。 微妙にストーリーと配役、主人公のタイプも違っていて、 原作のほうを読んだほうがストーリーとしての面白さはあるが、 宮藤官九郎の脚本には、またなるほどの良さがあって、あらためて感心。 長瀬智也のかっこよさにも脱帽。 ついでに主題歌のSads:忘却の空もふつうはぼくの好みではないけれど、 それはそれでまたいいではないかと、早速、i-Podに入れる。 原作の主人公のマコトは、よくクラシックをきく。 バルトークの弦楽四重奏などもでてきたりする。 それに、Jimmy Hendrixなどもでてきたりする。 ついでにと、これもi-Podに入れておくことにする。 いろんな曲をランダムに集めたものと 生前の最後のスタジオ録音となったElectric Ladyland。 この主人公の面白いのは、決して組織に属さないこと。 基本的にヒトリなのだけれど、 それでいて結果的に組織のなかにもネットワークしていく。 それが気に入った最大の理由かもしれない。 |
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