○自分にとって必要なこと ○中川牧三・河合隼雄『101歳の人生をきく』(講談社) ○ディープ・パープル/スージー・クアトロ 今日も、よしなしごとを一席。 ■自分にとって必要なこと 自分にとって今なにがもっとも必要なのか。 それは、自分に今もっとも欠けているものでもある。 自己認識のためのひとつの方法は、 自分が今いちばん悩んでいることのなかにあるという視点もある。 ぼくがいちばん困難を感じやすいのは、上下関係と組織である。 要するに、ぼくは人からあれこれいわれることも あれこれいうこともまったく好きになれないということである。 こういう人間が何十年もよく会社員をしているなと思うのだけれど、 これでも消去法でこれ以外はなかなか見つからなかったというのがある。 で、今ぼくが日々さらされているのは、 人にあれこれいわなければならない状況が増えているということである。 これは正直言って、きついというか、やる気なしになってしまう。 しかし、おそらくはこれこそがぼくの欠損のひとつなのだろう。 と思うことにしているが、思ったところでシンドイのは変わらない。 ■中川牧三・河合隼雄『101歳の人生をきく』(講談社) 中川牧三さんは、1902年生まれで、声楽と指揮を仕事としている。 この本は、昨年の8月にでているので、その時点では少なくとも現役の音楽家である。 なんだかんだいっても100歳を超えて現役というのはすごい。 ぼくなんかでさえ、まだ半分もきていないのだから。 これから50年以上頑張るというのは、やはり少しばかりつらい。 といっても、何かをしているというわけでもないのだけれど、 生きているというのは、ぼくにはそれだけでめっぽうつらいところがある。 100歳で思いだしたのが、映画『天国の本屋』。 この話では、人間は100歳で生まれ変わることになるが、 それまでに亡くなった人はその残りの時間を天国で過ごすという。 で、なぜかわからないが、102歳まで生きたとしたら、 生まれ変わったときに2歳であるという(ま、どうでもいいか)。 それはともかく、ぼくはこういう『天国の本屋』のような話に めっぽう弱く涙にくれてしまうことになる。 泣かすための仕掛けに、わかっていてもいちいちはまってしまうのだ。 しかし、この映画のエンディングのユーミンの歌にだけは少ししらけた。 ■ディープ・パープル/スージー・クアトロ 先日から、i-Podにいろんな音楽をつめこんでいて、 そのなかでも、ぼくが70年代のはじめのころ浸っていた音楽を いつくかファイルにしているのだけれど、 今日、yuccaとドライブしながら、ディープパープルをかけてみたら、 そのころのロック好きだったyuccaに大受けした。 ぼくもyuccaもかなり憂鬱質的なところが強いのだけれど、 そういうタイプには、こういうロックの原点のようなものが ときには活気づけになるということなのだと思う。 ところで、こうしてかつてのロックミュージックなどをききかえしているなかで、 スージー・クアトロの代表的な音楽のファイルもつくってみたが、 やはりスージー・クアトロ姉さんはなかなかにいい。 「キャン・ザ・キャン」とか「ワイルド・ワン」とか、「48クラッシュ」など。 |
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