風のトポスノート562

 

何ひとつ書くことはない


2005.9.14

 

   「何ひとつ書くことはない」ってぼくが書いたのはいつごろのこと
   だったかなあ。(…)
   自分の文体に飽きるっていうか、自分の文体が鼻につくっていうか、
   そんなことないですか?書いている意味内容よりも、口調、語り口、
   声みたいなもの、そこに一番書き手の「私」のどうしようもない全
   体が現れてくるとぼくは考えているんだけれど、その文体なるもの
   を意識してとらえるのはほんとうに難しい。
   (谷川俊太郎「帰ってこないで」
    『四元康祐詩集/現代詩文庫179』所収/P149-150)
 
「何ひとつ書くことはない」というよりも、
「何ひとつ書けることはない」といったほうが
ぼくの場合は正確か。
もちろん書く「べき」ことなんか何一つないんだけれど、
その「べき」がないからこそ、なんとか書いているのかもしれない。
 
実際、仕事で「べき」を自分でつくりだすときの
あの深海を死ぬように彷徨っている感覚は嫌だな。
まあ、仕事の場合、「文体」は
その要請されたものによっておのずと決まってくるし、
別に主体は、というか「語り手」は「ぼく」じゃないからいいんだけど。
 
ほんとうに、
こうして書いているときの
自分の「文体」、
ほんとうに「鼻につく」。
鼻につかないことはまずない。
 
でも
「何ひとつ書くことはない」し
「何ひとつ書けることはない」にもかかわらず
こうして「作文のおけいこ」をしているのだから
「おけいこ」なりの
その都度の変化球だけは
たくさん種類をもっていたいと思う。
少なくともそんな剛速球なんか投げられない。
しかしストライクゾーンにちゃんと入ってるのかな。
たぶんいつも甘いへろへろ球を投げてしまって
スコーンと打ち返されるような感じなのだろう。
 
それもよし。
 
どうしようもない私が歩いている。
うしろ姿のしぐれてゆくか。
(山頭火)
 


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