風のトポスノート559

 

大きな角をもった金平糖


2005.7.4.

 

「風のトポスノート558/ 書くことへの視点」で、
「文句のつけようがないんだけど、
おもしろさはひとつもない」
のはなぜなんだろうという問いに関連して少しだけ書いてみたが、
同じ「ほぼ日」で少し前に、
山田ズーニー『おとなの小論文教室。』Lesson252で
似たことが書かれているのを思い出したので
少し長い引用になるが、メモしておくことにしたい。
 
	文章でも、
	ものづくりでも、
	完成度って、なんなんだろう?
	・・・
	このミュージシャンたちは、ひと言でいって、
	「つまらなうまい」のだ。
	・・・
	「そんなつまらないものを、
	そこまで、磨き上げちゃいかん。」
 
	なにさまを承知で、私は思った。
 
	そんなふうにして、30歳そこそこで
	できあがってしまうまえに、
	もっとはやい段階で、
	どっか突き破ったり、打ち壊したりして、
	もっとふてぶてしくて、やな奴でもいいから、
	ゴツゴツと、可能性の突き出した30代に
	なれなかったのだろうか?
 
	「小さな完成品をめざすな、大きな未完成品であれ。」
	・・・
	きっと20代に突出したものをもっていただろう、
	彼らが、なぜ、
	こんなにも早くできあがってしまったのだろうか?
	それは、彼らが、
	1から10まであるとしたら、
	1から10までぜんぶ磨き上げるようにして
	「完成度」を追ったためというよりも、
 
	彼らの「親切心」からではないだろうか?
	・・・
	ときに、お客が、どん引きしても、
	ぬけっ、と、ずけっと、
	「俺は、きょう、これでいく」というような「毒」が、
	彼らにはなかったのではないだろうか。
 
	表現する者には毒がいる。
	小さく完成するな、と、じっと自分に言い聞かせてみる。
 
	あなたが、なにか、つくるとして、
	その中身が、1から10まであるとしたら、
	1から10まで、全部、完璧にしあげたいですか?
 
	じゃない、とすれば、じゃあ、
 
	何を目指していますか?
 
	山田ズーニー『おとなの小論文教室。』Lesson252
	http://www.1101.com/essay/index.html
 
「親切心」という表現はおもしろい。
別名、「媚び」である。
「受けねらい」ともいえる。
 
金平糖の比喩がある。
金平糖には角がある。
角が小さいと金平糖の角のあいだを埋めるのは簡単である。
しかし角が大きければ大きいほど、
その角のあいだを埋めるのはむずかしい。
 
自分のなかの角をイメージしてみる。
丸くならないように丸くならないように。
丸くなってしまったらもう大きくはなれない。
そんなイメージをもってみる。
 
自分にはどれほどの角があるのだろうか。
 
丸い表現は完成度が高いかもしれない。
決して間違いがない。
どこにでもころがっていける。
にゃんにゃんにゃん。
 
でも、角があったらそこでひっかかる。
転がそうとしても転がれない。
 
それでも、大きな大きな角をもっていた人が、
ずっとずっと歳をとって、
それでやさしく転がっていく姿は美しい。
転がっているだけで、笑顔みたいだ。
それはその人が
その大きな丸のなかに
大きな大きな角を秘めているからだ。
 
小さくにゃんにゃん転がっている丸は
そのなかにほとんど角をもてないままである。
それがおもしろいはずもない。
 
子どもは小さな丸である。
それはかわいい丸かもしれないが、
その丸はまず角を生やさなければならない。
子どものような心は失う必要がないが、
子どもであることは失う必要があるからだ。
どんどんどんどん角を生やして
そうしてその後で今度は大きな丸になる。
その大きな丸こそが、ほんとうの子どものような心の資格をもっている。
 


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