風のトポスノート552

 

男はつくられる


2005.5.11.

 

	白洲 先生、脳みそと性別というのは関係があるものなんですか。
	養老 性差ですか、それはありますよね。あるけど、そういうのは
	あんまり意味がないんで。一番はっきりした例をとって言えば、男
	のほうがだいたい女より背が高いんだけど、男の人を一人とって、
	それより背の高い女の人を探したら必ずいるでしょう。要するにそ
	ういうことですよ。違うといっても、女を一人とってきて、それよ
	りももっと女性らしい男を探してこいって言えば必ずいるんで、あ
	んまり意味がない。傾向はありますけど。もうひとつは、妊娠・出
	産に関係のあるような機能は男になくていいわけですから、そうい
	う部分は違いますね。それも若干です。
	白洲 多田富雄さんに伺いましたけど、なんかみんな女に生まれる
	んですって、初めは。
	養老 そうです。初めは女というよりも、もともとの形は女です。
	白洲 それはホルモンで男に、
	養老 そうです。男は無理してつくってます。
	白洲 ほんとにご無理でご苦労様ですね(笑)。
	養老 よくわかっています。母を見てましたから、いつもそう思っ
	てました(笑)。やっぱり哺乳類は元が女なんですね。ところがニ
	ワトリとか爬虫類は逆なんです。ニワトリは、雌を去勢しますとね、
	とさかが生えてきて、コケコッコーって言うんです。
	白洲 だって、人間だっていくらかそういうふうになるでしょう。
	養老 なりません。いくらかは男に近いのがいますけど、染色体で
	言うと、爬虫類と鳥は哺乳類とさかさまなんです。無理して女に引
	っ張っているという形だと思います。
	(白洲正子『おとこ友達との会話』新潮文庫/P265-266)
 
人間がもともとの形が女だというのはそうだろうなと思うけれど、
「爬虫類と鳥は哺乳類とさかさま」というのは面白いところである。
民族とかで異なっているところはあるけれど、
女性のほうがお化粧とか着飾ったりする傾向があるのに対して、
鳥だとオスのほうが色彩が豊かだったりすることも納得がいったりする。
男が着飾ったりする民族というのは、
おそらく鳥たちの傾向を模倣する文化的産物なのだろう。
 
男女を進化論的にいえば、
女は月的なところがあり、
男は逆に進みすぎて固くなる傾向があるというが、
結局、人間はもとものとの形は女だというのは、そういうことなのだろう。
あえて文化的に、つまりファンタジー作用による勇み足的な無理をすることで
人間は「男になる」というわけである。
だから、そういう意味に関しては、
ボーヴォワールのいうように「女はつくられる」というわけではない。
むしろ「男はつくられる」ということになる。
つまり作為的なのである、その存在はもともと。
ひょっとしたらその作為がストレスを生んで男のほうが寿命が短くなる
というのはありそうなところである。
 
さらにいえば、男という性別において女性的な傾向を示すというのは、
ホモ、ゲイ等を含めて、二重の意味でかぎりなく作為的だということもできる。
文化的な洗練が進めば男色が増えるというのも、
文化の洗練=作為の洗練ということでもあるからなのだろう。
日本の伝統芸能である能や狂言、歌舞伎などが
基本的に男だけで演じられるというのも、そういう作為に関わっているのかも 
しれない。
 
だから、最近の女性の一つの傾向としていえる男性化というのも
ある部分でいえば、月的なところを捨象して、
文化的な洗練?に向かっているということかもしれない。
とはいえ、おそらくその「洗練」のためには、
通常からつくられているところからはじめる男に比べて
2段階のシフトが必要になるというところがあるのは苦しいところだ。
 
とはいえ、実際問題として、上記引用で養老孟司もいってるように
性差よりも個人差のほうが圧倒的に大きいわけで、
要は個々人における差をそれぞれがどのように
「作為的に」生かしていくかというあたりの問題なのだろう。
 


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