風のトポスノート551

 

想像力と知識


2005.5.11.

 

	アインシュタインは、「想像力(ファンタジー)は知識よりも大切 だ」といった。
	(しかし知識がなかったら、どんなに素晴らしい想像力も役に立たない)
	デービッドは、心の中でそう思った。アインシュタインの独創性とル ービンシュタ
	インが見せる現実感覚の両方が、デービッドの想像力の肥やしだ。
	(ラルフ・イーザウ『暁の円卓7/孤独の歳月・後編』
	 長崎出版/2005年5月20日発行 P78)
 
今訳されつつあるラルフ・イーザウの大長編『暁の円卓』最新刊には、
アインシュタインが登場する。
今年は、アインシュタイン没後50周年、
相対性理論誕生100周年にあたるということだ。
 
シュタイナーは、アインシュタインの相対性理論を批判しているが、
(単純にいえば、私があなたに近づくのとあなたが私に近づくというのは違う 
ということ)
それはともかくとして、アインシュタインというのは、やはり特別な人には違いない。
 
さて、想像力(ファンタジー)と知識である。
 
知識は力である、のは確かで、
まず知識という「型」がないと
あるエネルギーがあったとしても、
それをきまった方向に出力していく回路をつくれない、というのがある。
 
しかし、もちろんその知識という「型」は、
その「型」そのものを目的としてしまうと、
それにとらわれてそこに注がれているエネルギーそのものが
スポイルされてしまいかねなくなる。
 
重要なのは、知識という「型」をある種の道具にしながら、
それをジャンピングボードにしながら、
そこに注ぎ込む想像力を生かし、
さらにそれを増幅させていくということなのだろう。
 
言葉というのも知識に近いところがあって、
ある概念を獲得することで、
なんらかの理念などを具体化しやすくなる。
しかし言葉にとらわれて、そこから身動きできなくなると、
魔術的に奴隷にされてしまい使役される四大霊のようになってしまう。
 
想像力には、知識という羽が必要だ。
それをどういかすことができるかという羅針盤が必要だ。
しかも、どこに着地できるかを見定めることのできる情報や
判断力も必要になってくるわけである。
想像力と知識、どちらかというのではなく、どちらも、
というのはいわずもがなの前提なのだ。
 
そういう意味で、神秘学というのも、
そのどちらかというのはありえない典型である。
 


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