風のトポスノート544

 

型へ/からの展開(メモ)5
「型と思考」


2005.3.25.

 

●型へ/からの展開(メモ)5 「型と思考」
 
・何かを考える、というとき、
 あてもなく(というのもなかなかいいのだけれど)というのでは、
 いわゆる考えをまとめる、展開させるということはむずかしい。
 
・思考にもある種の型の習得が必要なところがある。
 
・そもそも思考そのものの働きが「型」とは無縁ではないのである。
 思考は生きた生命のようなものであり、
 それなりの有機的なかたちをもっている。
 
・その思考にある種のソフトとしての「型」を付加してやることで、
 思考はその型を使って展開していくことができるのである。
 
・もちろんそれには裏面があって、
 あまりにもその「型」に思考をはめ込んでしまうばかりだと、
 その「型」を抜けられなくなってしまう。
 思考のルーティーン化であるが、
 さらにいえば、それ以外の思考方法が理解不能になってしまうことにもなる。
 
・〜の論理というふうな表現がなされることがあるが、
 それもまたある種の「思考の型」であり、そのシステム化だといえるだろう。
 
・わかりやすさというのが、わかりやすさよりも、
 むしろ危険なところがあるのは、
 わかりやすさというのは、多義性を捨象した単純化でもあって、
 それは「型」の多様性をもスポイルしてしまいかねないからである。
 しかも、始末の悪いことに、そのわかりやすさが
 豊かな多様性故に生命をもつことを理解できないままに、
 「わかりやすくなければならない」というような
 思考のファッショに陥ってしまいかねないところがある。
 
・思考の型は習得されなければならず、
 その型は多様で、柔軟なものである必要があるが、
 それ故に、中心を外れないような
 「中道的な」有り様を体現しなければならない。
 
・アカデメイアに入るためには、数学がわかる必要があるということだったが、
 それは、ひとつには、思考の型をきちんと組み立てる能力を条件としていた のだろう。
 しかもそれが単に目に見えるものだけに対してではなく、
 対象のないものに対しても可能であるということ。
 


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