狂言の「型」についての考え方から 先日来さまざまなことを考えるようになった。 その思いついたいくつかの項目を箇条書き的にまとめておくことにし、 後日そのそれぞれについて詳しく検討する機会を持ちたいと考えている。 ●型へ/からの展開(メモ)1 「型と自由」 ・伝統芸能における「型」は非常に重要であり、 それを習得することがまずは基本的修行である。 ・「型」に縛られるという発想もあるが、 「型」はある意味で「型」によって自由を得るためのものである。 ・しかしながら「型」をなおざりにすることは 自由への可能性を閉ざすことでもあり得る ・とはいえ、「型」だけでは骨だけで肉のない人間、 幹と枝だけで葉も花もない樹木にもたとえられるかもしれない。 もしくは、ハードだけあってソフトのないパソコン。 いや、ハードを動かすソフトはあるが、それを使う人のいない状態だろう。 ・何かを習得するためには、伝統芸能などだけではなく、 あらゆることにおいてなにがしかの「型」を必要とする。 その「型」を習得することで、その「型」を超えているもの、 超えていくものをも展開していく自由を獲得する可能性を得ることができる。 |
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