風のトポスノート531

 

自由って、むずかしい!


2004.12.24.

 

	糸井  前に
		 「山下さんのお宅に
	    十五人ぐらい集まって、
	    めいめいそこに転がっている楽器を
	    勝手に演奏して、それをテープに録る」
		 ということを、やりましたよね。
	山下  やったねー。
		 「フリージャズの実験」って言って。
		 糸井さんは、
		 すごい勢いでピアノを弾いていたよ。
	糸井  山下さんがその時、
		「なんでもやれ! 自由にやれ!」
		 って言うんです。
		 だからうれしくなって
		 興奮して自由にやっているうちに……
		 不自由になったんです。
		 だんだん、自分の持っている
		 パターンに陥っていっちゃった。
		 でも、山下さんが
	    いろいろやっているのを見ていると、
		 それはパターンになっていないんです。
	    「自由ってむずかしいんだ!」と思いました。
	タモリ そうなんですよね。
		 自由って、
		  ひとつのカセになってくるんです。
		 逆に、ある程度カセがあると
		 自由になれるかもしれないですよね。
		 ほんとに自由にやるには、
		 やっぱりもちろんテクニックも
		 相当に要るし、それ以上に精神も……。
 
	ほぼ日「はじめてのJAZZ」
	山下洋輔&タモリ+糸井重里
	第1回「自由って、むずかしい!」
	2004-12-24-FRI
	http://www.1101.com/jazz/index.html
 
トポスのメーリングリストで、しばしば「自由」ということを
しつこいくらいぼくは書いていて、
「またか」と思う方もいるのかもしれないけれど、
なぜ「自由」が重要なことなのかということが
ここには別の形でわかりやすく、でもとてもむずかしく
語られているのではないかと思い、あえて紹介しておこうと思った次第。
 
自由というのは、決して自分勝手だということではない。
自分勝手であるというのはすぐにパターンにハマってしまい、
ある種のルーティーンになってしまうけれど、
自由というのは、そういうパターンを繰り返すことではない。
 
守破離といわれるように、
自由というのはある意味でその「離」にあたり、
その「離」であるために「守」という型が出発点となり、
しかもその型にしがみつくのではなく、
それを「破」していくことで可能になる。
 
「思考」の重要性ということも、
この「自由」についての観点と似ていて、
ともすればこの「思考」を「頭で考える」というふうに
とりちがえることしかできない人がいる。
もちろん「頭で考える」ことさえできなければ、
「思考」へと至ることはできない。
「頭で考える」というのは、ある種の「守」なのだから。
 
類や属性でしかものがとらえられないというのも、
「自由」が理解できないというのと似ている。
シュタイナーが「自由の哲学」でもふれているように。
 
たとえば、女性や男性といった性別にこだわるということは、
女性や男性であってはいけないとか、
そういうものを否定しているというのではない。
それはある種の「守」ではある。
しかしそれにこだわるばかりでは性別にとらわれてしまうだけになる。
そのためには「破」がいるし、さらに「離」が重要になる。
さらに、女性性や男性性といった要素も
肉体上の性別にかかわらずそれぞれの人はもっていて、
それらのバランスというのも重要な課題になってくる。
そのバランスのためにも、「守」があり「破」があり「離」がある。
 
そういうのが面倒くさくなって、
「自由はいらない」という議論さえ最近はにでてきていて、
それは固定的秩序の維持には対症療法的に効果はあるかもしれないが、
結局のところ、人体をめぐっている血の流れを止めてしまうようなもので、
いずれはすべてを滅ぼしてしまうことになる。
いつも同じ音とリズムで演奏されている音楽を
ひたすら聞き続けなければならないような状態とでもいえるだろうか。
そういう状態でもかまわないという音楽音痴の人もいるのかもしれないが、
それではあまりに貧しすぎるのではないだろうか。
 


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