風のトポスノート527

 

好きなことと楽しいこと


2004.12.4

 

先日仕事柄必要で参照した
20歳代から30歳代の女性についてのある調査結果で、
「好きなこと」よりも圧倒的に「楽しいこと」のほうが優先する
という結果がでていた。
 
そんなに厳密な調査ということでもないので
どれだけ信憑性があるかどうかわからないが、
この結果は、「自分がなにをしたいか」ということが
よくわからないひとが多いということを
表しているということもできるのかもしれない。
自分にとってこれだけはこだわりたいという
「好きなこと」「したいこと」というのがとくになく、
とりあえず「楽しい」気分になって
気晴らしができたほうがいいということなのだろう。
 
もちろんぼくにとっても「楽しいこと」はやはり楽しいことで、
楽しくないほうがいいとは決して思わないけれど、
それよりも自分の「好きなこと」「関心のあること」「したいこと」に向けて
ハードルを越えようとする時間のほうがずっと充実感があるのは確かで、
きわめてものぐさなぼくにしても、
わずかな時間でもそちらのほうに裂きたいという切実さはもっている。
 
しかし、そういうベクトルをもてないでいるとしたら
やはりとりあえず「楽しいこと」が優先されてしまうのだろう。
戦後のアメリカの日本占領策の重要ポイントになった3つのS。
つまり、スポーツ、セックス、スクリーンというのがあるが、
そういうのもある種「楽しいこと」につながるものなのだろう。
おそらく多くの場合、その3つのSは「精神科学」から
目をそらせるためには重要な役割を果たすことになる。
 
もちろん禁欲とか苦行とかへの指向を良しとする気はさらさらないが、
今楽できるということだけにこだわる自分を見るよりも
自分の好きなことに向かう自分を見る方が充実できるように思うのだ。
好きこそものの上手なれ、とあるが、
好きでないと「上手」にはなかなかなりにくい。
 
シュタイナーを読むのも、なぜ読むかというと
そこに書かれている内容があまりにおもしろいからで、
その作業は多く決して「楽」ではないのだけれど
その「楽」を超えた「好き」を優先することで
それなりの充実感を味わうことができるということなのだといえる。
 
生きるということはぼくにとっても
どちらかといえば「苦」の実感があるのだけれど
その「苦」を「楽」で埋めようとしてもどこか空しい。
だからこそ「好き」なもの、
できうれば自分にとっての永遠につながるような「好き」へ
向かうことによって「生きる」というプロセスを大切にしていければと思う。
 


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