風のトポスノート522

 

人生を感じる時間


2004.10.20

 

	 最近、道を歩いていたり、部屋でぼんやり外を眺めたりしているときに、
	<有名人の人生>というのが急に頭をよぎっていく。
	 <有名人>。私が思いつくかぎり一番の有名人はビートルズの四人で、
	彼らの人生がいったい幸せだったのか……というような。彼らのうちの二
	人はすでに死んでしまったが、死んだから幸せでなかったと思うわけでは
	なくて、いま元気に生きているポールとリンゴの二人も含めて、「彼らは
	人生と言えるものを生きたのか?」というようなことだ。普通の見方から
	すれば、彼らは何倍もの人生を生きた。しかし、どこへ行っても「あ、ジ
	ョンだ」「あ、あそこにポールがいる」と言われてしまう人生が「人生」
	と言えるものだろうか。
	 普通の人の何倍もの密度があったと言っても、普通の人の人生というの
	は、密度ではなく空虚さによって実感されるようなものなのではないか、
	と最近、私は思うのだが、この感じをまだ私自身、はっきりと言葉にでき
	ていない、というかイメージとして掴めてはいなくて、いろいろな言い方
	をしてみるしかないのだが……。
	 たとえば、人が生きている主観的な時間は、楽しいことは短くあっとい
	う間に過ぎてしまい、苦しいことは長くいつまでも終わらない。酒を飲ん
	で騒いでいる一晩は短く、歯の痛みに苦しむ一晩は朝が来ないのではない
	かと思うほどに長い。あるいは、気を紛らわす何も持たずに人を待ってい
	る時間の長さ。もちろん、そのすべてが人生の時間なわけだけれど、私に
	は長く感じられる時間の方こそが人生の本質というか、<人生の素顔>の
	ようなものではないかと思えるのだ。
	(保坂和志「時への視線1人生を感じる時間」より「風の旅人」10号所収)
 
有名人になったことはないのでよくわからないし、
有名人になりたいと思ったこともないのでさらによくわからないのだけれど、
たしかにぼくにとって<有名人の人生>というのは
ぼくのような<人生>のような<人生>とは
少なくとも根本的なところでどこかが違っているような気がすることは確かにある。
 
それよりも、ぼくにとっては、「人生」というのは、
もともといまひとつピンとこないところがあるので、
有名になろうとかいう次元でとらえるようなところにはなく、
むしろなぜ「人生」というものがあるのか、という
きわめて素朴かつ根源的な疑問のほうに意識は向かってしまうことになる。
 
もしこういう地上世界がまだ存在していなくて、
さてこれから地上世界をつくるかどうか検討しよう、
というような相談がなされるときに出くわしたとしたら、
おそらくぼくなら「そんな面倒なことやめといたほうが…」
というようなことでも言うかもしれないくらいなのだ。
 
だから、そういうぼくにとっては、
こうして地上に生きていることは、
地上に生きていることそのものを問うことになる。
 
生まれてはじめて、この地上がひょっとしたらあってもいいのではないか、
とかはじめて思えるようになったのは、考えてみると
仏教の華厳教や法華経のことを知ってからのことなのかもしれない。
そんなに昔のことでもない。
ミクロコスモスとして宇宙を照らす存在のことや
山川草木悉皆成仏、煩悩即菩提のこと。
しかしそれらはまだぼくにとってはそんなに切実なものとして迫ってはこなかった。
 
ぼくにとって真にこの地上に生きることそのものが
意味を持ったものとして迫ってくるようになったのは、
まさにシュタイナーの神秘学を知ってからのことである。
もちろん、重要なのはキリスト存在である。
地上を生きた太陽存在としてのキリスト。
その意味が理解されるようになってからというもの、
地上に生起するすべてのことが意味をもってくるようになった。
どんなに些細なことも意味のない偶然はない。
 
そういう意味では、有名とか無名とかは
まさにどうでもいいことになってくる。
「退屈」するということも意味をもたなくなる。
楽しいときも苦しいときもあるけれど、
そして、充実感を感じるときもまったく逆のこともあり、
時間が早く流れるときもゆっくり流れるときもあるけれど、
その時間のなかに、つまりこうした地上世界のなかに生きる自分がいる!
そのことが、そのことそのものがなんと有意味!なのだろうと実感されてくる。
死さえもがそうだ。
 
こうして生まれてくることができたことで
おそらくぼくはもう一度遡って
これから地上世界をつくるかどうか検討しよう、
というような相談がなされるときに出くわしたとしたら、
今度はこういうことだろう。
「きわめて面倒なことになるだろうけれど、
その面倒なことなくしては何も始まらないだろう」と。


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