*** 2011年5月14,15日 富士山/岩小同窓会関連 ***

No.1〜12までが5月14日、残りが15日です。

1.愛鷹山 2.富士山1 3.富士山2 4.富士山3 5.富士山4
6.岩小南側入口1 7.岩小南側入口2 8.岩小新校舎1 9.藤棚 10.岩小新校舎2
11.岩小西側歩道 12.K.H氏豪邸の跡地 13.T.H, K.H, T.H氏と 14.C.F, M.Sさんと
T.H, K.H氏
15.C.F, M.Sさんと
T.H氏

 5月15日、53年ぶりに芦屋市立岩園小学校(以下岩小)の同窓会が開催されることになり、その前日の14日に、母の病気見舞も兼ねて帰省する。永年、この際は飛行機を使っていた関係で、新幹線の車窓を流れる景色が、実に新鮮に映る。新丹那トンネルを抜け、三島駅を過ぎると視界が開け、先日登った愛鷹山の南面が現れる。車窓から望める姿は、意外にどっしりした山塊に見える。暫くすると、富士山が姿を見せるが、山頂の一部が雲間に隠れ、絶景とは言い難い状況である。それでも、久々に山頂が拝める光景なので、電線の写り込みを避け、順次撮影する。
 夕刻、少し早目にJR芦屋駅に到着したので、母校の岩小まで足を延ばす。昔通った校門に至る道は、そのままであるが、南門正面奥に位置する校舎は、コンクリートの4階建に様変わりしている。Wikipediaによると、阪神大震災の後の2002年に、建て替えられたとか。一方、運動場の東側に有った藤棚は、一部だけが残され、殆ど無くなっている。嘗ての憩いの場であっただけに残念である。夕闇が迫ってきたので、昔の通学ルートを実家に向かう。途中、懐かしきK.H氏の実家があった一角を通過するが、嘗ての豪邸が売却され、細分化されてしまっているのに、一抹の寂しさを覚える。
 5月15日13:00、大阪駅近くのホテル阪急インターナショナルにて、岩小同窓会が開催される。S.K氏をはじめ5名の名幹事の御努力の結果、当日の参加者は何と53名、内13名は我々関東組である。語呂合わせで恐縮だが、53年ぶりの53名の再会も、何かの御縁であろう。結局、卒業生の約1/3に当たる一クラス分が参加したことになるが、私自身5年生の二学期に一組に転校していたせいもあり、残りの二組,三組の人々とは、殆ど顔馴染みがない。それでも、クラス別に席に着き、改めて見渡すと、昔の面影から、何名かが顔と名前が一致するようになる。同テーブル右手には、クラス一番の秀才M.A君、対面にはマドンナC.Fさん、隣のテーブルには、強面のK.I君、クラス二番の秀才T.M君他が着席している。何れの面々も、色んな意味で、私が大の苦手とした相手であるが、無口な転校生であった私は、K.I君の格好の餌食になったのは、言うまでもない。ところが、そのK.I君の方から握手を求めてくる。意外や、柔らかい手に吃驚するが、外見上も険しさが消え、随分穏やかな顔付になったような気がする。
 ふと、湯川秀樹の自叙伝"旅人"の一節が目に浮かぶ。そこには、自身の旧制中学時代を振り返って、「私はあまり、目立たない存在であった。級友は私に"(名無しの)権兵衛"と言うあだ名を付けた。私はそのころ、こんなあだ名が大嫌いだった。中略。私は今、大学の研究室の椅子に、窓に忍び寄る夕方の気配を感じながら、じっと座っている。自分が目立たない少年であった時代を、思い起こしているのである。・・・・」と、赤裸々に語っている。また、嘗てNHKのインタビューでも、「自分は、カタツムリのように自分の殻に閉じこもる、極端に内向的な人間。」とも話している。こんな湯川秀樹が、朋友朝永振一郎と共に、晩年核廃
絶に向けて邁進することになる。また、世界平和アピール7人委員会を組織し、反戦と核兵器全廃を世界に訴え続けた行動力は、並はずれたものであったと言える。要するに、性格は生まれつきのもので変えようがないが、行動は自己の立場に応じて、努力次第で、幾らでも変えられるということであろう。私自身は、勿論、"世界の湯川"の足元にも及ばないが、こと性格に関しては、共通点が多いように思える。なお湯川秀樹に関する話は、嘗て室蘭工業大学の"国際関係論"の授業中に、私が取り上げたものだが、学生だけでなく、自分自身のためにも喋ったのは言うまでもない。また、1970年の学生運動が華やかなりし頃、湯川秀樹退官記念講演が、京大法経一番教室で行われ、門外漢の私も、立席で聞いた覚えがある。内容については、全く忘れてしまったが、講演自体は御世辞にも見事とは言えなかったと記憶している。また、湯川秀樹自身が、生涯の師と仰いだ量子論の祖・マックス・プランクに、私が最近のめり込みつつあるのも、何かの御縁であろう。感慨に耽っている間に、周りが少々騒しくなってきたので、私も殻から抜け出し、仲良しだったK.H,T.H両君以外の方々とも話をする。そうこうするうちに、予定の3時間が、あっという間に経過する。ただ、残念ながら、明日の業務の関係で、二次会は欠席せざるを得なかったので、何となく消化不良の感は否めない。従って、次回の予定が話し合われたか否かも不明だが、それまで、ボケることなく健康でいたいものである。そのためには、14日に大丸芦屋店の宝盛館で買い求めた冊子、渡部昇一著"知的余生の方法"が、役立つかもしれない。筆者は、養老猛氏や石原都知事と近しい右寄りの論客であるが、その文章は、実に明快で説得性がある。またこの本を、御歳80歳で昨年末に初出版したのも驚嘆に値する。一例を挙げると、江戸時代の学者・佐藤一歳の言葉を引用して、「・・・。壮にして学べば、即ち老いて衰えず。老いて学べば、即ち死して朽ちず。」と述べている。ただ、江戸後期の話なので、寿命が延びた現代では、「壮にして」が、丁度我々の年代に当てはまるのであろうが、その後も「老いて学び続ける」のは、脳のためには良いことであろう。いずれにせよ、研究であれ、趣味であれ、脳を絶えず使い続け、活性化させることが、ボケないコツというといころか。

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