*** 2010年10月2日 知床五湖/羅臼港/野付岬 ***

1.大山さん
(知床五湖入口)
2.遊歩道
(一湖手前)
3.一湖の風景1 4.エゾシカ1 5.一湖の風景2 6.モウセンゴケ
(一湖)
7.小魚
(一湖)
8.雲間の
知床連山1
(一湖)
9.二湖の風景2 10.雲間の
知床連山2
(一湖)
11.二湖の風景3 12.雲間の
知床連山2
(二湖)
13.雲間の
知床連山3
(二湖)
14.湖畔の黄葉
(二湖)
15.色付き始めた
樹木1
(二湖)
16.色付き始めた
樹木2
(二湖)
17.三湖の風景1 18.三湖の風景2 19.三湖の風景3 20.三湖の風景4 21.ガマの穂
(三湖)
22.キツツキの
つついた痕
23.ツタウルシ1
(三湖)
24.ツタウルシ2
(三湖)
25.ツタウルシ3
(三湖)
26.遊歩道2
(三湖)
27.遊歩道3
(三湖)
28.三湖の風景5 29.トドマツ林の
ツタウルシ
(三湖)
30.色付き始めた
カエデ
(三湖)
31.ダケカンバと
トドマツ
(三湖)
32.ダケカンバの黄葉
(三湖)
33.雲間の羅臼岳1
(三湖)
34.雲間の羅臼岳2
(三湖)
35.雄のエゾシカ1
(三湖)
36.雄のエゾシカ2
(三湖)
37.三湖の風景6 38.三湖の風景7 39.樹齢300年を
超えるミズナラ
40.三湖の風景8
41.四湖への遊歩道 42.雑木林の黄葉 43.ダケカンバ
の黄葉
44.ミズナラの緑葉 45.四湖の風景1 46.四湖の黄葉1 47.四湖の黄葉2 48.四湖の風景2
49.五湖の風景 50.五湖の紅葉1 51.五湖の紅葉2 52.五湖の紅葉3 53.五湖の紅葉4 54.五湖の紅葉5 55.五湖の黄葉 56.ツタウルシの
紅葉1
57.ツタウルシの
紅葉2
58.ツタウルシの
紅葉3
59.ツタウルシの
紅葉4
60.ツタウルシの
紅葉5
61.ツタウルシの
紅葉6
62.ツタウルシの
紅葉7
63.ミズナラの黄葉 64.ミズバショウの芽
65.キタキツネ1
(知床横断道路)
66.キタキツネ2
(知床横断道路)
67.キタキツネ3
(知床横断道路)
68.キタキツネ4
(知床横断道路)
69.大山さん
(知床峠)
70.雲間の羅臼岳
(知床峠)
71.国後島遠望
(知床峠)
72.酒井
(知床峠)
73.羅臼港の漁船 74.羅臼港のかもめ 75.巡視艇かわぎり 76.羅臼港全景 77.防波堤越しの
国後島
78.国後島・羅臼山 79.防波堤のかもめ 80.大山さん
(巡視艇かわぎり)
81.巡視船てしお1 82.巡視船てしお2 83.国後島1
(標津付近)
84.国後島2
(標津付近)
85.知床半島1
(標津付近)
86.知床半島2
(標津付近)
87.野付半島の湿原1
(トドウラ)
88.野付半島の湿原2
(トドウラ)
89.野付半島の湿原3
(トドウラ)
90.湿原遊覧馬車
(トドウラ)
91.ハマナスの花1
(トドウラ)
92.ハマナスの花2
(トドウラ)
93.ウンラン
(トドウラ)
94.羅臼岳
(トドウラ)
95.国後島・羅臼山
(トドウラ)
96.国後島・ルルイ岳
(トドウラ)

 10月2日(土)本日も晴天、いよいよ旅行最終日である。だが、昨日の摩周岳登山の疲れもあって、思いの外朝寝をしてしまったので、早々に朝食を済ませ、知床第一ホテルを後にする。海岸沿いの道を進むと、10数分で知床五湖の入口に到着する。意外や、駐車場はがら空きで、我々が先発組のようである。一周3q、普通のペースで回ると、1時間半の行程である。そこで、大山さんと相談の結果、一湖から順番に巡ることにする。木道を通り一湖まで来ると、"エゾシカ"が数匹長閑に草を食んでいる。姿形からして、若い雌のようであるが、人間を怖がる仕草は全く見せない。湖面の奥には、知床の山々が屏風のように連なっている。だが、残念ながら、最高峰の羅臼岳(標高1660m)山頂付近は、雲間に隠れたままである。ここは、じっくり雲が晴れるのを待つしかあるまい。
次に、五湖中最大の面積を誇る二湖を訪れる。本日は無風状態、鏡のような湖面に知床連山を映しこんでいる。一方、対岸の樹木も黄葉し始めているが、紅葉は未だである。三湖に入ると、様子が一変し、様々な景色が展開する。先ず、大山さんが、木道脇に"キツツキ"の食痕を発見する。その近くには、橙色の"ツタウルシ"が見られる。更に湖を半周すると、今度は立派な角を持った"エゾシカ"が現れる。実に堂々としていて、貫禄十分である。足元の笹を踏むと、その音に反応してこちらを向いたので、素早くシャッターを切る。雑木林の中を抜けると、四湖が顔を出す。知床連山をバックに、ひっそりとした佇まいを見せる、中々情緒溢れる湖である。他の観光客からも、ここが一番との声が聞こえてくる。最後に、五湖にたどり着く。水面を水草が覆い、対岸には真っ赤なツタウルシが点在している。ここから、元来た入口に戻る。途中、雑木林の中に、色艶やかな"ツタウルシ"が多くみられる。逆光に映える紅葉が、何とも美しいが、美女同様、余り近づかない方が無難である。結局、2時間かかって出発点に戻る。予定より30分オーバーというところか。
 11:46、知床五湖を後にし、知床峠(標高740m)に向かう。途中、快調に走っていたところ、前の車が急にスピードを落とす。見れば、何と"キタキツネ"の子供が、道路を横切っている。そこで、下車してこの様子を撮影する。好奇心旺盛なのか、カメラを構えると、寝転んだり、牙を見せたりする。結局、ここで、5分程道草したが、更に葛篭折りの坂道を登っていくと、下ってくる多くの人々とすれ違う。何かのイベントであろうか。
 12:18、知床峠に到着する。相変わらず、羅臼岳は姿を見せず、猛烈な寒風が吹き荒れている。当初、この周辺の羅臼湖を散策する予定であったが、この寒さで、急に意欲が失せる。遥か彼方には、北方領土の国後島が横たわっている。結局、早々に知床峠を去り、国後島の全貌を掴むため、羅臼港に立ち寄る。
急坂を下りきり、海岸沿い道を暫く行くと、羅臼港が現れる。ここに暫く駐車して、港内を巡回する。カモメが並ぶ防波堤の先には、国後島が間近に望める。距離にして僅か20数q、超望遠で覗くと、国後島の断崖が眼前に迫る。
 所で、国後島は、戦後の1945年8月28日から9月2日にかけて、ソ連が日ソ中立条約を無視して侵攻し、同国が1991年末に崩壊した後も、ロシアが実効支配を続けている。だが、1945年2月、戦後処理を巡って、ヤルタにて米英ソで秘密会談が持たれ、米国が樺太/千島列島をソ連に引き渡すことを条件に、ソ連参戦を促したとされる。なお、この時点で、北方4島は、千島列島に含まれていないのは、言うまでもない。この際、仕掛け人は、ルーズベルトであったが、したたかなスターリンは、これに満足せず、北海道占領が困難と見るや、手薄となった北方4島に、強引に侵攻したのが実態であろう。余談であるが、もしこの時、日本がドイツ/オーストリアのように、東西両陣営により分割統治されておれば、日本の経済発展は望むべきもなかったであろう。だが、米国の単独統治下で、憲法まで変えられ(ドイツは改憲されなかった)、国際舞台では、正論すら吐けない弱小国家になり下がってしまった。とは言え、現実は、戦後60年経った今でも、米国の傘下にあり、米国の弱体化並びに米国との関係悪化は、日本の安全を危うくする。ここは、米国との関係を悪化させない範囲で、自主防衛/自主独立を、名実ともに図っていく必要があろう。
 先般の尖閣列島問題に関しても、中国に気兼ねして、証拠のビデオさえ、政府は公開しない始末である。言うべきことを言わずに、守勢に回ると、相手は更に弱点を突いてくる。私の昨年の講義資料(国際関係論)で恐縮だが、孫子の兵法に例えると、先ず「水の形は高きを避けて下きに趨き、兵の形は実を避けて虚を撃つ。」が挙げられる。要約すると、《水が、高い所を避けて低い所へ流れるように、戦闘は敵の強い所を避けて、弱い所を狙って攻めなければならない。》という意味である。次は、「善く戦う者は、人を致して人に致されず。」である。即ち、《名将は自分が主導権を握っており、敵に引き回されることはない。》というところか。更に付け加えると、船長自から故意に船を衝突させておいて、一方的に中国政府が日本政府に謝罪しろとは、正に"詭弁"であり、ヤクザゴロツキよりも達が悪い。故事成語考によると、"詭弁"は、司馬遷の"史記"に登場し、「蘇秦、張儀は、合従や連衡の策などの"詭弁"を弄して、国々を危険にさらした。」のを、彼が批評したものとある。また、トレンド百科事典によると、《詭弁とは、命題の証明や説得の際に、実際には誤りである論理展開を故意に用いて、自分の望む結論を導き出すこと。》こととある。現在は、グローバル化の時代であり、"孫子の兵法"や"詭弁"を弄しすぎると、それが全世界に知れ渡り、"国家の品格"が問われることとなり、各国からの信頼も得られなくなるのは、言うまでもない。
 一方、新聞情報によると、ロシアのメドベージェフ大統領が、近々北方領土訪問を画策中とか。所で、この大統領は、2006年から2009年にかけて、EU圏への天然ガス供給を巡って、その拠点となるウクライナに、圧力をかけ続けたガスプロム社の元会長であり、彼の朋友(親分)が、元KGBのプーチン首相(元大統領)である。何れも、一癖も二癖もある一筋縄では行かない人物である。今回も、日本の対中弱腰外交を見て、露・大統領が、堂々と北方領土を訪問する公算が大である。暗澹たる思いで、国後島を眺めていると、任務を終えた巡視船が入港してくる。そこで、船着き場に向けて歩いて行くと、既に巡視艇"かわぎり"が停泊している。この船員の方から、大型船が入港してくるとの情報を得たので、そちらに向かっていると、先程の巡視船(てしお:500t)が静かに着岸する。
ロシア当局との駆け引き等、日々大変だと思うが、体を張って、日本漁船の生命と財産を守ってほしいものである。13:20、羅臼港を後にして、最後の訪問地・野付半島に向かう。
 国後島を左に見つつ、国道244号線を南下すると、野付半島への分岐点が現れる。ここを左に折れ、"フラワーロード"を20分程爆走すると、トドウラに到着する。この半島は、全体がエビのような形をしており、トドウラは尾の屈曲部に相当する。周辺には、原生花園が広がっており、遊覧馬車も運行されている。
ただ、この時期は、既に花の盛りを過ぎており、"ハマナス"の花が数輪確認できるのみである。近くの木製展望台に登ると、羅臼岳がやっと全貌を現わす。
超望遠で狙うと、山頂部の溶岩ドームが確認できる。目を国後島に転じると、台形状の羅臼山(標高888m)が望める。何時の日にか、この山に、大山さんと共にビザなしで、訪れたいものである。ここから、中標津空港に向けて、車を走らせる。
 今回、室蘭工大での集中講義後、大山さんと共に、3泊4日の道央/道東旅行に出かけた。好天にも恵まれ、十二分に北海道の秋を堪能できた。運転/撮影の際にも、嫌な顔一つせず御協力頂いた大山さんに、改めて感謝申し上げたい。機会があれば、またどこかの旅行に、御一緒したい。
[総走行距離/燃費:650km/21.6km/L]

《後日談》:恐れていた通り、11月1日、ロシアのメドベージェフ大統領が、国後島を訪問した。更に、今後歯舞/色丹の訪問計画もあるとか。日本政府の毅然とした対応を、切に望む。

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