*** 2009年8月22日〜25日 カナダ・オタワ ***

1.成田空港1 2.成田空港2 3.成田空港3 4.アッツ島1 5.アッツ島2 6.アッツ島3
7.ミズリー川?
上流1
8.ミズリー川?
大蛇行部
9.ミズリー川?
下流1
10.ミズリー川?
下流2
11.シカゴ・オヘヤ
空港1
12.シカゴ・オヘヤ
空港2
13.国会議事堂1
(ホテル部屋より)
14.国会議事堂2
(ホテル部屋より)
15.国会議事堂3
(ホテル部屋より)
16.国会議事堂
夜景1
(ホテル部屋より)
17.国会議事堂
夜景2
(ホテル部屋より)
18.オタワ中心部
夜景
(ホテル部屋より)
19.国会議事堂
周辺交差点1
20.国会議事堂
周辺交差点2
21.国会議事堂4 22.国会議事堂5 23.国会議事堂6 24.アレクサンドラ橋1
25.アレクサンドラ橋2 26.リドー運河1 27.リドー運河2 28.リドー運河3 29.リドー運河4 30.リドー運河5
31.学会会場Westin 32.リドー運河
周辺風景1
33.リドー運河
周辺風景2
34.リドー運河
周辺風景3
35.熱気球1
(ホテル部屋より)
36.熱気球2
(ホテル部屋より)
37.衛兵交替式1 38.衛兵交替式2 39.衛兵交替式3 40.衛兵交替式4 41.衛兵交替式5 42.衛兵交替式6
43.交替式観客1 44.交替式観客2 45.ゼラニウムの花
(国会議事堂)
46.ハマナスの花1
(国会議事堂)
47.ハマナスの花2
(国会議事堂)
48.ハマナスの花3
(国会議事堂)
49.アライグマ
(国会議事堂周辺)
50.猫にびびる
アライグマ
(国会議事堂周辺)
51.国立美術館1 52.国立美術館2 53.ノートルダム
寺院1
54.ノートルダム
寺院2
55.ノートルダム
寺院3
56.ノートルダム
寺院4
57.ノートルダム
寺院5
58.ノートルダム
寺院6
59.アレクサンドラ橋3 60.アレクサンドラ橋4
61.国会議事堂7
(ネピアンポイント)
62.国会議事堂8
(ネピアンポイント)
63.オタワ川上流
(ネピアンポイント)
64.オタワ川下流
(ネピアンポイント)
65.オタワの夕日1 66.オタワの夕日2

 8月21日(金)〜9月4日(金)にかけて、東回りのラウンドトリップ(世界一周の旅)に出かける。これまで、西回りのそれは何度か体験済であるが、更に体力的にきつい東回りは、今回が初めてである。当初、カナダ・オタワでの国際学会(Inter-Noise2009)にて論文発表後に、そのまま帰国する予定であったが、偶々本学学生のH.M君が、ハンガリー・ミシュコルツ大学に短期留学する時期と重なったため、ウイーンで彼と合流後、レオベン経由でミシュコルツに向かうことにした。またこの際、将来留学を希望しているA.K君も、私費にて特別参加することになった。
 8月22日(土)8:00、ホテルの連絡バスにて、成田空港第一ターミナルに向かう。チェックイン後、出発まで時間があったので、展望デッキから、離発着する飛行機を狙う。約20分も粘ったが、中々気に入った写真が撮れないので、時間切れで出発ロビーに戻る。
 10:45定刻、全日空NH0012便は成田を離れ、一路シカゴを目指す。予想通り、機材は大型機のB747-400ではなく、中型機のB777-200である。約4年前、ワシントンDCに向かった際も、全日空は既にこの機種を導入しており、当時から徹底した省エネを図っていた。また、通常空席が目立つビジネスクラスも満席で、正に輸送効率100%と言える。今存亡の危機にある"日本の翼"JALとは大違いである。一方、チケットを確認すると、最終目的地オタワ空港到着は、22日16:39(日本時間23日05:39)とある。所要時間は、待ち時間を入れて何と約19時間、この間機内では殆ど眠れないため、体調が狂って当然の強行軍となる。
 成田を発ち3時間半程経過すると、眼下に残雪を頂いた島が現れる。山頂部はカール状になっており、嘗て氷河に覆われていたことを表している。機内誌で確認すると、どうやら"アッツ島"のようである。更に東方に霞んで見える島は、"キスカ"であろうか。所で、アッツ島は、アリューシャン列島の南端に位置し、第二次大戦中、日本軍が最初に玉砕した激戦地である。未だに、島全体に霊気が漂っているように思えるのは、私だけであろうか。航路上では、このまま列島に沿って北上すると、北米最高峰・マッキンリー山上空を、通過することになる。あわよくば、その雄姿を写真に収めたい所たが、その手前で日没を迎えため、窓のシャッターを下ろし、暫しの眠りにつく。
2〜3時間は眠ったであろうか、シャッターを少し上げると、朝靄の中に大河が霞んで見える。一部は、S字状に大屈曲していおり、まるで腸のようである。そうこうする内に、当機はシカゴ・オヘア空港第5ターミナルに、滑り込む。世界最大のこの空港、各ターミナル間は無人シャトルで結ばれており、正にハイテクの塊である。所が、入国審査場まで進むと、そこで何と行き止まりである。場内アナウンスによれば、システムがダウンしたとのことで、このまま40分程度も待たされる羽目になる。この際、バックアップシステムが働いて当然であるが、何故か米国の入管システムは、1系統しか無いようである。結局、私自身のバックアップシステム(乗継まで5時間)のおかげで、事なきを得る。
 17:30過ぎ、やっと本日の宿・The Westin Ottawaに到着する。今回の学会が、このホテルで開催されるため、利便性を優先して4泊することにしたが、何と食事無しで一泊2万数千円と、大学教授の給料からすると、破格の値段である。これでも、本学会参加者のための特別レートとか。ただ、部屋に足を一歩踏み入れると、正に息を呑む光景が飛び込んでくる。まあ、この絶景が毎日見られるなら、良しとしなければなるまい。早速カメラを取り出し、この光景を狙っていると、急に睡魔が襲って来たので、Westin特製"Heavenly Feather & Down Pillow"を枕に、一眠りする。目覚めると時刻は23:00、"天国の羽毛枕"で熟睡できたせいか、頭がすっきりしている。成田で前泊した一泊朝食付6900円のホテルHとは、雲泥の差である。カーテンを開けると、見事な"オタワの夜景"が広がっている。昼間の光景も含めて、被写体には事欠かない模様である。
 8月23日(日)、結局一睡もできなかったが、絶景を求めて早朝の散歩に出かける。ネオ・ゴシック様式の国会議事堂は、実に存在感がある。ただ、中央の塔をじっくり眺めると、"ビッグ・ベン"そっくりである。また、周辺の庭園には、騎乗のエリザベスU世像もあり、英国の影響力が色濃く残っているように思える。だが、1965年には、国旗からユニオンジャックが消え、以降急速に米国寄りの外交に変化している。また、本年6月に破綻したGMを救済するため、カナダ政府が、12%もの新GMの株式を取得したことは、意外と知られていない。
更に、GMの欧州子会社・オペルを買収したのも、カナダのブローバル企業・MAGNA社である。金融危機を切っ掛けに、米加がNAFTAの二大大国として、結束を深めているのは間違いなかろう。
 一方、議事堂裏に回ると、優美なアレクサンドラ橋が望める。この先は、フランス語圏のケベック州と、この橋を挟んで公用語が異なる。だが、英語圏のオンタリオ州側の道路標識にも、フランス語が併記されており、お互いの利便性が図られている。余談であるが、ケベック州出身の有名人といえば、"セリーヌ・ディオン"が挙げられる。90年代初め、ヨーロッパ線の機内で、"WHEN DOES MY HEART BEAT NOW"を始めて聞いた際、そのパワーと歌唱力に圧倒された記憶がある。ただ、フランス語なまりの変わった英語で、お世辞にも綺麗な発音とは言えなかったが、その後、次々と英語版のCDを発表する中で、急速にネイティブの発音に近づいていったようである。97年には、"バーブラ・ストレーザンド"とのコラボレーションまで果たし、その挿入歌"TELL HIM"は、正に圧巻である。学界/音楽界共、世界の共通言語は英語であると言えよう。
 ホテルへの帰路、リドー運河に立ち寄る。写真からも判かるとおり、水位の低いオタワ川から上位のダウンタウンへと、徐々に水位を上げ行く閘門式運河である。ここは、ユネスコ世界遺産に登録されており、実に情緒溢れる光景が連続する。その橋上の一角では、議事堂周辺とあってか、エスキモーへの環境悪化,ルワンダでのジェノサイト等、問題提起をするような写真が、数枚立て掛けられている。
道行く人は、立ち止って眺めているが、国際関係の講義を担当する私にとっても、中々見過ごせない光景である。
 8月24日(月)、いよいよ論文発表当日である。ただ、時差ぼけで、前日の23:00頃目覚めたため、そのまま朝まで発表のためのイメージトレーニングを行う。時間になったので、開始30分前に会場に入ると、何と正副のセッションオーガナイザー以外、誰も見当たらない。
ちょっと拍子抜けしたが、開始直前になると20人程度集まり、事なきを得る。また、イメージトレーニングが功を奏したせいか、聴衆に向かって、自分の言葉で説明できた。発表後の質問に関しても、やや鋭さには欠けたものの、二件寄せられ、持ち時間一杯まで返答し、有意義な一時となった。自己採点すると、70点の出来というところであろうか。
 8月25日(火)、学会の合間に、衛兵交替式に出かける。30分足らずのセレモニーであるが、整然と隊列を組んで行進する様は、正に圧巻である。また、音楽隊の後列には、バクパイプを抱えキルトをはいたスコッチ風衛兵も見られ、英国文化そのものという感である。
唯一の違いは、移民の国だけあってか、衛兵の肌の色が様々であることぐらいである。議事堂の裏手に回ると、何と北海道の花"ハマナス"が咲いている。どういう訳で、ここにハマナスがあるのか、興味津々であるが、敢えて詮索しないことにする。その後、国立美術館付近を散策し、ホテルに戻る。

《後日談》9月13日、Inter-Noise2009学会責任者より、proceedingsによる評価の結果、優れた論文として、上位の学会誌NCEJ(Noise Control Engineering Journal)にノミネートされたとの通知があった。改めて、同学会に投稿し、3人のレビューワーから、フル査読を受けることになった。

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