*** 2009年1月25日〜28日 カンボジア・プノンペン ***

No.1〜12:1月25日(日), No.13〜72:1月26日(月), No.73〜85:1月27日(火), No.86〜90:1月28日(水)

1.成田
全日空ホテル
2.成田
第1ターミナル
南ウイング1
3.成田
第1ターミナル
南ウイング2
4.成田
第1ターミナル
駐機場1
5.成田
第1ターミナル
駐機場2
6.成田
第1ターミナル
駐機場3
7.成田
第1ターミナル
駐機場4
8.成田
第1ターミナル
免税店
9.房総半島
(NH953便)
10.伊豆七島
(NH953便)
11.四国・吉野川
(NH953便)
12.四国・剣山
(NH953便)
13.ITC首脳陣と 14.ITC中庭 15.コンクリート
強度試験機(ITC)
16.白い花(ITC) 17.ハイビスカス1
(ITC)
18.ハイビスカス2
(ITC)
19.ブーゲンビリア1
(ITC)
20.ブーゲンビリア2
(ITC)
21.ブーゲンビリア3
(ITC)
22.ブーゲンビリア4
(ITC)
23.ITC土木工学科の
先生方
24.I先生,H先生,
酒井
25.王座の館1
(王宮)
26.王座の館2
(王宮)
27.舞踏館(王宮) 28.大通り(王宮) 29.王座の館3
(王宮)
30.釈迦の生涯の
壁画(王宮)
31.仏像(王宮) 32.シルバーパゴダ1
(王宮)
33.シルバーパゴダ2
(王宮)
34.サンタンカの花1
(王宮)
35.サンタンカの花2
(王宮)
36.ブーゲンビリア1
(王宮)
37.ブーゲンビリア2
(王宮)
38.ブーゲンビリア3
(王宮)
39.ストゥーパ(王宮) 40.ブーゲンビリア4
(王宮)
41.黄色の花1(王宮) 42.黄色の花2(王宮)
43.花壇(王宮) 44.蘭の花1(王宮) 45.蘭の花2(王宮) 46.蘭の花3(王宮) 47.アンコールワット
の模型1(王宮)
48.アンコールワット
の模型2(王宮)
49.涅槃像(王宮) 50.沙羅双樹の花1
(王宮)
51.沙羅双樹の花2
(王宮)
52.クメール織の実演
(王宮)
53.ジャックフルーツ
(王宮)
54.スイレンの花
(王宮)
55.国立博物館入口 56.ガルーダ石像1
(国立博物館)
57.ビシュヌ神の胸像
(国立博物館)
58.ガネーシャ神像
(国立博物館)
59.ガルーダ木像2
(国立博物館)
60.国立博物館建物1
61.国立博物館建物2 62.国立博物館建物3 63.僧侶達
(国立博物館)
64.風船売り 65.トンレサップ河畔 66.旧正月を迎える
プノンペン市民
67.ピンクの花
(トンレサップ河畔)
68.観光船乗場
(トンレサップ河)
69.通称日本橋
(トンレサップ川)
70.観光船
(トンレサップ川)
71.漁民一家1 72.漁民一家2
73.漁民一家3 74.ホテル・
カンボジアーナ
75.夕暮れ
(トンレサップ川)
76.バイク5人乗り 77.バイク3人乗り 78.輪タク
79.トラック荷台の
相乗り
80.高級SUV車 81.メコン川
(レストラン)
82.メコン川での
漁労風景
83. I先生&V 先生 84. H先生&酒井
85.トゥールスレン
刑務所跡入口
86.トゥールスレン
刑務所跡全景
87.政府高官の妻の
受刑者
88.トゥールスレン
刑務所跡の
ブーゲンビリア
89.CJCCにて 90.旧正月の
イルミネーション
91.M物産N所長と 92.メコン川の朝日1
(ホテル・
カンボジアーナ)
93.メコン川の朝日2
(ホテル・
カンボジアーナ)
94.メコン川の朝の漁
(ホテル・
カンボジアーナ)
95.ホテル・
カンボジアーナ
96.プルメリア
(ホテル・
カンボジアーナ)

 1月24日(土)、カンボジア/タイの大学訪問のため、成田に向かう。改めて、パスポートのカンボジア入国ビザをチェックしてみると、初回が2002年末、今回で4度目となる。この間、私の勤務する大学も変わり、隔世の感があるが、6年前に知り合いとなったカンボジア工科大(以下ITC)のV先生との不思議なご縁で、3年3ヶ月振りの再会が実現した。今回は、I先生(チェンマイ大客員教授/三重大名誉教授)、並びに本学H先生(建設システム工学科准教授)と行動を共にする。ただ、I先生はチェンマイにお住まいの関係で、バンコクの空港にて合流ののち、一緒にプノンペンを目指す。
 1月25日(日)、目覚めると、窓の外は朝もやに包まれている。早めにチェックアウトを済ませ、連絡バスで第一ターミナルに向かう。ここで、屋外の展望デッキから、離発着する飛行機を連写する予定であったが、フロアが凍結して危険なため、デッキの扉は閉じられたままである。仕方がないので、出発ロビーに戻り、ガラス越しに飛行機を撮影する。
 10:50定刻、NH953便はタイ・バンコクに向け出発する。暫くすると、伊豆七島が姿を表す。手前の最大の島が、大島であろうか。更に30分程飛行すると、今度は四国・吉野川と思しき河口が現れる。続いて、山岳地帯を通過するが、位置関係からして、懐かしき四国剣山であろう。ただ、暖冬のせいか、標高1955mの山頂付近には、積雪は殆ど見られない。その後、九州・桜島上空を通過した辺りから、眼下は一面の雲に覆われてしまう。撮影を諦め、読書とCAの方とのおしゃべりで、時間をつぶす。若手のCAの方と話が弾んできたところで、思い切って、3年3ヶ月前にワシントン線で再会した、S.Oさんのご様子を伺う。やはり御知り合いのようで、今も国際線で活躍されているとのことである。所で、当時はシンクロニシティーが重なり、その2日後に、シカゴで偶然再会したのが、当時高知工科大学(以下KUT)博士課程3年生であったV先生である。これらの不思議な出会いは、正に"神が仕組んだ仕業"にも思えてくるが、ただ単に、"世間は狭い"とも言えそうである。物の本によると、世界の60億人の誰とでも、僅か6人を介するだけで繋がるほど、世間は狭いことを、アメリカ人学者が、実験で証明したそうである。即ち、"地球は一つ、人類皆兄弟"は、何処かのスローガンではなく、事実と言える。従って、初めて会った物同士でも、お互いを敬い、誠意を尽くすことが肝要と思われる。謂わば、"一期一会"の精神にも通じるが、これを唱えた大老・井伊直弼が、攘夷派でなく開国派であった点は合点が行く。夢から覚めると、バンコク空港が近付いている。
 16時過ぎ、無事バンコク・スワンナプーム空港に到着する。この空港、昨年11月に反政府団体が1週間以上も占拠し、機能不全に落ち入ったことで、世界中に名を馳せたが、実は世界最大のハブ空港なのである。ただ、成田の約3倍もの広さを有するだけあって、乗り継ぎの際には、ターミナル内を、延々と歩き回る必要がある。運動不足解消には、もってこいではあるが、重い荷物を携えたままでの移動は、中々大変である。それでも、出発ゲートまで何とか辿りつき、近くのラウンジで一息入れる。出発30分前になり、ゲートへの階段を下りて行くと、I先生が私を目ざとく見つけ、手招きされる。昨年10月の中国・江蘇大学以来の再会である。暫くすると、本学のH先生も来られ、これで全員集合とあいなる。
 18:55定刻、TG697便はカンボジア・プノンペン空港に向け出発する。水平飛行に移ると、早速機内食が出てくるが、先程のラウンジで間食したため、とても胃袋に収まりそうもない。そこで、隣席の若者に差し出すと、喜んでバッグに仕舞い込む。聞けば、カンボジア人の学生で、久々にプノンペンに帰省すそうである。20時過ぎ、無事プノンペン空港に到着する。成田を出て、既に12時間ばかり経過しているが、不思議と疲れを感じない。出口でV先生と、シカゴ以来の再会を果たす。お元気そうで何よりである。早速、彼の車でホテルに向かう。ただ、当初宿泊予定であったホテルが、何かの手違いで、今夜の2部屋が確保できず、I先生と私は、急遽隣の"ホテル・カンボジアーナ"に変更する破目になる。少々古びてはいるが、嘗ての名門ホテルだけあって、フロントのマナーもしっかりしている。
 1月26日(月)、本日は朝からITC首脳部との会談である。業務の詳細は省略するが、V先生の名アレンジのお陰で、友好裏に終了する。この分だと、三大学連携も実現しそうな雰囲気である。その後、土木工学科の先生方と、共同研究の打合せを行う。具体的には、H,V両先生の研究分野であるコンクリート工学で、コラボレーションが実現しそうである。関連の研究施設見学のあと、キャンパス内を散策する。色とりどりのブーゲンビリアが、この地が常夏の国であることを、実感させてくれる。
 関係者と昼食後、王宮を訪問する。V先生によると、この一角に現シハモニ王の宮殿があるが、観光客には開放されていないそうである。一方、壮大な"王座の館"の隣には、こじんまりした"白亜の館"が存在する。名を"ナポレオン三世の館"と言い、19世紀末に、嘗ての宗主国フランスから、一方的に押付けられたものである。6年前に、初めてこの宮殿を訪問した際には、内部の展示物も公開されていたが、現在は、どう言う訳か閉鎖されている。いずれにしても、植民地時代の象徴が公開中止になったのは、カンボジアにとっては、喜ばしいことである。大通りを抜けて、パゴダが並ぶ庭園に向かう。この一番奥まった所には、見られない大木があり、その幹から、棘だらけの小枝が何本も垂れ下がっている。枝には、黄色い蕾が房状に付いており、その先には色艶やかな花が咲いている。また、大木の下には、涅槃仏が横たわっていて、その回りを落花が覆い、えもいえぬ雰囲気を醸し出している。花の名が少し気になるので、帰国後、改めて他の写真を調べてみると、その一枚に、"Shorea Robusta Roxb"との名札が写っている。和名では、"沙羅双樹"を意味し、平家物語の冒頭部分には、"沙羅双樹の花の色、・・・"、と記載されている。通りで、この雰囲気にぴったりな訳である。所が、この光景を撮影し、立ち去ろうとしていた所、高級カメラをぶら下げた日本人と思しき女性が、土足のまま祭壇に上り、花を接写したあと、逃げる様に去ってゆく。何という破廉恥な行為であろうか。怒りを通り越して、悲しみさえ覚えてくる。気分が晴れないまま、国立博物館に向かう。クメール文明の貴重な遺産が、所狭しと並んでいる。この方面の勉強を、少し勉強してくれば良かったと悔やまれるが、後の祭りである。博物館の中庭では、僧侶達が、仏像をバックに、写真を撮り合っている。ポルポト時代の大粛清を潜り抜け、彼等にも、やっとクメール文明に親しむ余裕が、出てきたのであろうか。ここから、トンレサップ川クルーズに出かける。堤防では、八重桜に似たピンクの花が、丁度見頃を迎えている。本日は、旧正月の元旦とあってか、花見としゃれ込む市民を多く見かける。その後、トンレサップ河畔のレストランにて会食ののち、ホテルに戻る。
 1月27日(火)、JICA関連施設を訪問する。午前中は、カンボジア復興支援の拠点となった、JICAプノンペン事務所を訪問する。当初1時間ばかり、所長との懇談を予定していたが、監査で多忙を理由に、突然出席をキャンセルされる。新JICA発足に伴い、大学との連携強化を期待していたが、正に肩透かしを食った感じである。その後、昼食を取るため、メコン河畔のレストランに向かう。途中の国道では、3〜5人乗りのバイクに混じって、トヨタ・レクサス製SUV車やベンツ・セダンと、多くすれ違う。平均月収1万円以下の市民にとって、正に高嶺の花の筈である。余りにも奇異に写るので、改めてV先生に伺うと、ローンで車を購入し、暫くして、その価格以上で、転売するそうである。正に、車版サブプライムローンが、この開発途上国で堂々と行われており、近い将来に破綻するのは目に見えている。しかも、これに加担しているのが、日欧の大メーカとあっては、何をか言わんやである。
 昼食後、カンボジア日本人材育成センター(以下CJCC)との打合せまで、少々時間があったので、V先生に、トゥールスレン刑務所跡を御案内頂く。パンフレットによると、この刑務所に収容され殺された受刑者は、子供も含め約20,000人、生きて出られたのは僅か数名とのことである。6年前に訪問した際には、受刑者の怨念が漂っているようで、全くシャッターを切れなかったが、今回は比較的冷静な気分で、眺めることができる。時の経過がそうさせるのか、何れにしても、慣れとは恐ろしいものである。ただ、赤ん坊を抱いた政府高官の妻の姿が、強く印象に残る。この写真は、他の受刑者と共に、処刑直前に撮影されたものであるが、悲しみを通り越した無表情な姿に、言い様のない悲しみと憤りを覚える。
 その後訪れたCJCCでは、JICAカンボジア事務所とは打って変わった対応で、責任者の方自ら、詳細な御説明を頂く。四方山話のなかで、愛媛県のJICA事務所に勤務されていた時代に、私が懇意であったKUTのM先生と、一緒に仕事をされたとか。プノンペンまできて、不思議なご縁に驚嘆する。夜は、本学M理事のお世話で、M物産・N所長と会食する。N所長は、M理事の元同僚で、理系(東工大)のご出身ではあるが、中々饒舌且つ闊達な商社マンである。カンボジアに対する愛情も深く、私の担当する"国際関係論"の授業にも、大変興味を示される。そこで、急遽特別講師をお願いしてみると、その場で快諾される。実際は、社内手続き等も必要であるが、室蘭での再会を願って、お別れする。私が、東工大で学位を取得したのも、何かのご縁であろうか。
 今回は、ITCとの交流打診のため、3名でプノンペンを訪問した。僅か数日の滞在であったが、お会いした方全てと、不思議な繋がりがあることが判明した。このご縁を大切にしつつ、ITC/CJCC/M物産との連携を強化し、カンボジアの高等教育復興に、微力を尽くしたい。
《後日談:N所長には、休暇で帰国された際に、学部と大学院の授業を、2コマ御担当頂くことになった。改めて、N所長の御厚情に感謝したい。》

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