*** 2007年6月23日〜27日 中国・大連/武漢/上海/蘇州 ***

それぞれ、
No.1〜5:6月23日 NH903便機中より、
No.6〜8:6月23日 大連、
No.9〜20:6月24日 大連、
No.21〜40:6月25日 武漢、
No.41〜60:6月26日 上海、
No.61〜90:6月27日 蘇州
の写真です。

6月23日 NH903便機中より
1.富士山1
(NH903便)
2.富士山2
(NH903便)
3.本栖湖
(NH903便)
4.南アルプス
(NH903便)
5.琵琶湖
(NH903便)

6月23日 大連
6.大連中心部1 7.大連中心部2 8.テレビ塔

6月24日 大連
9.中央広場 10.新築中の
高層ビル
11.旧日本人
居住区1
12.旧日本人
居住区2
13.四つ角
(旧日本人居住区)
14.美容院1
(旧日本人居住区)
15.美容院2
(旧日本人居住区)
16.子供達1
(旧日本人居住区)
17.子供達2
(旧日本人居住区)
18.子供
(旧日本人居住区)
19.廃品回収業?
(旧日本人居住区)
20.半壊状態の建物
(旧日本人居住区)

6月25日 武漢
21.ゲストハウス
(華中科技大)
22.蓮池
(華中科技大)
23.蓮池
(華中科技大)
24.並木
(華中科技大)
25.鳥
(華中科技大)
26.蓮の花1
(華中科技大)
27.蓮の花2
(華中科技大)
28.蓮の花3
(華中科技大)
29.蓮の花4
(華中科技大)
30.スイレンの花
(華中科技大)
31.参道脇の店
(黄鶴楼)
32.竹のアーチ
(黄鶴楼)
33.庭園
(黄鶴楼)
34.黄鶴楼 35.タイル絵
(黄鶴楼)
36.模型
(現在の黄鶴楼)
37.長江遠望
(黄鶴楼)
38.釣鐘
(黄鶴楼)
39.白い実
(黄鶴楼)
40.赤い実
(黄鶴楼)

6月26日 上海
41.大通り
(上海交通大前)
42.赤門
(上海交通大)
43.旧図書館
(上海交通大)
44.新赤門
(上海交通大
新キャンパス)
45.運河
(上海交通大
新キャンパス)
46.地下鉄
47.テレビ塔 48.黄浦江の夕日 49.外灘地区1 50.外灘地区2 51.海底モノレール1 52.海底モノレール2
53.海底モノレール3 54.海底モノレール4 55.浦東地区 56.夜景1
(南京東路)
57.夜景2
(南京東路)
58.夜景3
(南京東路)
59.夜景4
(南京東路)
60.夜景5
(南京東路)

6月27日 蘇州
61.運河1 62.運河2 63.運河3 64.民家 65.ピンクの花
(ムクゲ)
66.天泉亭1
(拙政園)
67.天泉亭2
(拙政園)
68.蓮花
(拙政園)
69.石橋
(拙政園)
70.回廊1
(拙政園)
71.北寺塔遠望
(拙政園)
72.遠香堂1
(拙政園)
73.遠香堂2
(拙政園)
74.回廊2
(拙政園)
75.香州1
(拙政園)
76.香州2
(拙政園)
77.香州3
(拙政園)
78.回廊3
(拙政園)
79.見山楼
(拙政園)
80.池
(拙政園)
81.蘇州大
キャンパス1
82.蘇州大
キャンパス2
83.蘇州大
新キャンパス
84.仁王像
(寒山寺)
85.本堂
(寒山寺)
86.阿弥陀仏1
(寒山寺)
87.阿弥陀仏2
(寒山寺)
88.参拝客
(寒山寺)
89.回廊
(寒山寺)
90.五重塔
(寒山寺)

 6月23(土)〜28日(木)にかけて、情報・S先生と共に中国に出張する。昨年の東北地区に対して、今回は大連,武漢,上海,蘇州を、反時計方向に巡る旅である。以下、道中での出会い/珍事を中心に記す。
 成田で前泊のあと、23日(土)成田10:10発NH903便にて、大連に向かう。シートベルト着用ランプが消えると、左手に富士山が現れる。表富士とは異なる優美な山容で、裾野には本栖湖と思しき紺碧の湖も望める。更に20分程飛行すると、雄大な琵琶湖が眼下に広がるようになる。湖北側を飛行している関係で、竹生島も確認できる。"琵琶湖周航歌"に詠われた、彼の竹生島である。4番の歌詞には、"瑠璃の花園珊瑚の宮、古い伝えの"竹生島"、仏の御手に抱かれて、眠れ乙女子安らけく"とあり、歴史と青春のロマン溢れる名曲と言える。私にとっても、学生時代から現在に到るまで、一番の愛唱歌となっている。島内には、西国三十三箇所の名刹"宝厳寺"があり、機会があれば是非訪れてみたい寺院の一つである。
 大連到着後、先ず留学生フェアーに参加する。ここで、今回お世話頂いたSさんと話していた所、甥に当たる方が99年に京大U先生の研究室で学位を取得後、"日本の某メーカ"にて研究を継続中とのことである。専攻を伺うと、何と私と同一で、しかも私が若かりし頃、このメーカに就職しかけた経緯がある。結局、諸般の事情でご縁がなかったが、何と言う寄寓であろうか。そう言えば、2004年に、タイの名門C大のS先生を訪問した際にも、何気ない会話の中から、私と同級のK先生の所で学位を取得されたと聞いて、驚愕した覚えがある。何れの場合も、摩訶不思議な出会い(シンクロニシティー)の典型と言えよう。その後、大連交通大学を訪問し、大学院生に対して本学の紹介をしたあと、先程のSさん他と夕食を共にする。
 24日(日)、本日は残念ながら雨天である。ホテルの窓越しに、旧日本人居住区が、幻のように霞んで見える。人が居住しているか否か不明だが、一部は崩れ落ち廃墟と化している。まるで、戦後の貧しい時代に、タイムスリップしたような光景である。時間が許せば、是非この光景を記録に残したいものである。午前中、昨日の関係者と最後の詰を行ったあと、車で大連空港に向かう。幸いにも、若干時間に余裕があったので、念願の旧日本人街を訪問する。被写体を求めて路地をさ迷っていると、理髪店と思しき看板が目に留まる。吸い込まれるように、中に入っていくと、老婆が散髪の真最中である。洗面所もなく、お世辞にも綺麗な店とは言えないが、何故か郷愁を誘う光景である。店主に断った上で数ショット撮影する。理髪店を出て、次の被写体を探していると、路地で子供達が戯れている所に出くわす。どうやら、鬼ごっこをしている模様で、日本の"じゃんけん"に似たやり方で、鬼を決めているようである。ただカメラを構えると、ポーズを取るどころか、さっと逃げてしまう。それでも、顔を出
した所で、強引にシャッターを切る。このような劣悪な環境の中で、逞しく生きる子供達は、実に生き生きとしている。ただ、この地域は都市の再開発で、近々消え去る運命とのことである。私が、この地区を撮影した、最後の日本人となるかも知れない。この後、空路で"中国の三大竈(かまど)"の一つ武漢に向かう。目的は、武漢の"清華大学"とも言うべき、"華中科技大学"の訪問である。当夜は、同学国際交流室のTさん他と会食後、ゲストハウスに宿泊する。
 25日(月)早朝、同大のキャンパス内を散策する。宿舎近くの蓮池では、勉学に勤しむ学生達を見かける。流石に名門大学だけのことはある。その後昼食を挟んで、国際交流に関する会議と留学候補者の面談を行い、夕刻武漢空港に向かう。途中、同学のご好意で、"黄鶴楼"を訪問する。李白が、「故人西辭黄鶴樓 煙花三月下揚州 ・・・・」と詠んだ、名所である。一方、楼内に入ると、高さ10mほどもありそうな壁画に圧倒される。これには、仙人が"黄鶴"に乗って去っていく姿が、タイル画で描れている。李白と同時代の詩人・崔顕(さいこう)の詩、「昔人已乗黄鶴去 此地空余黄鶴楼 黄鶴一去不復返・・」を、再現したものであろう。滴る汗を拭きつつ最上階に到ると、長江の先に高層ビルが霞んで見える。中国の大都市は、何処に行ってもスモッグに塗れており、大気汚染が深刻であるのが実感できる。一方、嘗て多くの生命を育んだ長江も、いま正に瀕死の状態にある。即ち、大都市"重慶"から、工場廃液や生活排水が垂れ流され、その下流にあたる"三峡ダム"が、"汚水のため池"化しつつあると言われている。大都市"武漢"は、三峡ダムの約300km下流にあり、汚染が更に進んでいるのは言うまでもない。某テレビ局でも放映していたが、長江から魚の姿が消え、偶に採れたとしても、中国人は決して口にしないそうである。日本でも、中国からの越境汚染が問題化しつつあるなか、日中共同でグローバルな環境汚染対策に、真剣に取組むべきであろう。
 26日(火)、上海交通大学を訪問する。江沢民前総書記の出身校だけあって、非常にプライドと格式の高い大学である。午前中は、研究交流を中心に意見交換したのち、C教授の御案内で新旧のキャンパスを訪問する。流石に名門大学だけあって、豊富な資金を得て、研究施設の拡充を行っており、いま正に建築ラッシュの真っ只中にある。また夕刻には、K科長に上海の中心部をご案内頂く。長江の支流"黄浦江"を挟んで、東側が未来都市"浦東"地区、西側が旧租借地"外灘"地区である。先ず、浦東地区から外灘地区を撮影する。長江と繋がっているせいか、水は濁り大小の塵が浮遊している。K科長も川面を見て、思わず"汚い"とおっしゃっている。次に、黄浦江の下を潜るモノレールにて、外灘地区に向かう。トンネル内は、カラフルなイルミネーションが点滅しており、まるでネオンの洪水である。手振れを覚悟でこの光景を撮影する。駅を降り、ここから上海一の繁華街"南京東路"を、延々と歩む。この路が終わる辺りで、"吉野家"の看板を見つけ、皆で遅い夕食を取る。味の方は、可もなく不可もなくというところで、先ず本物の吉野家に間違いなかろう。
 27日(水)、特急列車で蘇州に向かう。席に着くと、早速売子が来たので、ワゴンにある"Volvic"製ミネラルウォーターを注文する。所が、表面が曇っており、何となく様子が変である。最初水滴かとも思ったが、手にとって良く見ると、ペットボトルが何度も使いまわされたせいで、スリガラス状になっている模様である。更に透かしてみると、"ミジンコ"のような固形物が多数浮遊している。尾篭な話で恐縮だが、大連で"水垢入りの国産品"を、うっかり飲んで下痢が始まったため、以降透かしてみる習慣がついた。一方、上海では行き交う人々の多くが、"雀巣(ネッスル)"ブランドを愛飲している。私も試飲してみたが、見た目の濁りはなく、味もすっきしている。正に、"Do in China as the Chinese do"の好例であろう。後学のために申し上げるが、中国ではペットボトルの水と言えども、自身の目と舌でその安全性を確認する必要がある。
 蘇州駅を降り、タクシーでS先生の母校・蘇州大学に向かう。創立100年以上の名門総合大学である。本館の時計台を眺めていると、ふと我が母校の時計台を思い出す。本館内の一室にて、国際交流に関する打ち合わせの後、新キャンパスをご案内頂く。その後、中国4大名園の一つである、世界遺産"拙政園"を訪問する。何とも奇妙な名前であるが、その由来については、長くなるので省略する。いずれにしても、嘗ての明代の御史"王献臣"が、余生を送った名園である。政争の世界から引退して、瞑想にふけるのには、格好の場所に思える。次に、"寒山拾得"で知られる"寒山寺"を見学する。日本では、奇怪な笑いが特徴の"寒山拾得図(伝顔輝筆)"が有名だが、この寺では石刻が現存するだけとのことである。ただ、駆け足で巡った関係もあって、この光景を写真に収めることは叶わなかったが、これは次回取っておきたい。
夕刻、S先生御一家のご招待で、市内のレストランにて会食する。S先生の甥に当たる方は、英国の高校に留学中で、ゆくゆくは名門K大に進学希望とのことである。英語力だけでなく、実に立派な価値観の持主である。お二人に蘇州駅までお見送り頂き、最新鋭の純中国産(??)新幹線"弾丸"(実は東北新幹線"はやて")にて、上海に戻る。
 今回、S先生と共に中国・大連/華中/上海地区を訪問した。S先生のお陰で、名門大学と忌憚のない意見交換ができ、有意義な出張となった。今後、学生交流及び研究交流の実現に向けて、鋭意努力したい。最後に、今回お世話になった方々のご多幸をお祈りし、筆をおく。《後日談:Sさんの紹介で、大連で面談したNさんが、今秋から本学に留学することになった。これも何かのご縁であろう。》

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