*** 2005年8月21日,22日 オーストリア・ウイーン ***

8月21日 (成田全日空ホテルより)
1.成田空港1 2.成田空港2 3.成田空港3 4.成田空港4

8月22日
5.アムール川1 6.アムール川 7.シベリアの無名川 8.ゴットランド島
101.シュテファン
寺院1
102.シュテファン
寺院2
103.シュテファン
寺院3
104.ウイーンの朝 105.シェーンブルン
宮殿1
106.グロリエッテ1 107.グロリエッテ2 108.ネプチューン
の泉1
109.ネプチューン
の泉2
110.シェーンブルン
宮殿バラ園
111.シュウメイギク 112.日本庭園1 113.日本庭園2 114.日本庭園3 115.日本庭園4
116.日本庭園5 117.日本庭園6 118.ウイーン風庭園 119.野生リス1 120.野生リス2
121.野生リス3 122.オオバコ1 123.オオバコ2 124.白い花
(キク科?)
125.ウツボグサ
126.シュテファン
寺院遠望1
127.シュテファン
寺院遠望2
128.グロリエッテ3


 8月22日(月)、オーストリア及びハンガリーの大学との国際交流協定締結打診のため、 成田からNH209便でフランクフルトに向かう。更に、フランクフルトでLH便に乗り換え、 同日深夜ウイーンに到着する。待ち時間を含めると約17時間の長旅である。以下、道中 の詳細を記す。
 成田を定刻11:35に出発する。成層圏に達し美味な昼食が済んだあと、免税品の販売 が始まる。リストを元に何点か購入するが、残念ながら私好みのネクタイは品切れである。 しかしながら、キャビンアテンダントの方の、丁寧且つ心のこもった対応が印象に残る。 乙に澄ましたトップ企業の方とは大違いである。
《後日、11月1日のNH002便(成田発ワシントンDC行)で、何とこの方と機内で偶然再会する。 名前もS.Oさんと判明する。明朗快活且つ爽やかな方である。別途伺ったところ、ANA国際線 キャビンアテンダントの総数は、約1800名とのことなので、再会する確率は何と1/3,240,000 となる。更に3回会う確率となると、58億3千2百万分の1と言う正に天文学的な数値になる。 実際に、3回目の可能性があった11月4日のNH001便(ワシントンDC発成田行)では、1日違いで すれ違いに終わった。残念至極であるが、次回の奇跡に期待する。》
 成田出発後約3時間で、雄大なアムール川が現れるはずであるが、本日は見渡す限り雲の海 である。所が幸運にも、アムール川上空で雲が切れ、突然雄姿を現す。ここぞとばかり シャッターを切るが、瞬く間に雲間に隠れてしまう。ここから更に6時間程で、 サンクトペテルブルグ(旧レニングラード)上空を通過する。バルト海に入ると、 スウェーデン領ゴットランド島が眼下に望める。往年のベルトケンプフェルト楽団の名曲、 "夏の夜のゴットランド"を暗唱しているうちに、フランクフルト空港に無事到着する。 キャビンアテンダントの方々とはここでお別れし、次に小型機(何とスロベニア航空の プロペラ機)に乗り継ぎ、ウイーンに向かう。
 8月23日(火)早朝、時差ぼけで目が覚めてしまったため、特急列車出発の合間に、 シュテファンドームとシェーンブルン宮殿を訪れる。これまで何度も訪問した名所だが、行く 度に新しい発見がある。シェーンブルン宮殿では、今回初めて幻の日本庭園を散策する。 宮殿から遠く離れている関係もあってか、訪れる人は極稀である。1913年に、オーストリアの 庭師が見様見真似で造園したとのことであるが、その後荒れ果てていた庭園を、1999年に日本 の業者が復元したものである。松の枝振りからして、近年日本から持ち込んだものであろう。 20世紀前半に作られたのち、第一次大戦,帝国の崩壊,第二次大戦の激動の時代を経て、荒れ 放題になっていた庭が、20世紀末に日墺友好のシンボルとして蘇ったことは、実に感慨深い。 この庭を巡り、写真を撮影していると、突然リスが現れる。子供がピーナツの欠片を差し出すと、 機用に鞘をかじって食べている。この光景を何枚かの写真に収める。
 その後、ホテルに戻り特急列車でレオベンに向かう。レオベン駅で、Prof.W.Eichlsederと 1年10ヶ月ぶりに再会する。思えば、彼とも不思議なご縁である。10数年前、私の部所の同僚が 米国自動車技術会にて出会い、それを契機に交流が始まったものである。6年前、彼が自動車 メーカから大学に転出したことで、今後彼と会う機会はないと思っていたが、期せずして私も 2002年に大学に移ったことから、交流が復活した。所で、モンタン大学・レオベン校との協定 締結の話は、彼の絶大な協力があってスムーズに進み、今後関係者で詳細を詰めることとなった。 同日レストランで会食後、再会を願って彼と別れる。
 8月24日(水)朝、特急列車でウイーンに戻る。列車のコンパートメントに入ろうとすると、 既にインテリ風の紳士が席を占めている。着席後会釈をすると、英語で話しかけてくる。 四方山話をするうちに、打ち解けてきてお互いの素性を喋るようになると、またしてもご縁が あることが判る。Dr.F.Rは大手化学会社の研究者で、名門グラーツ工科大出身,モンタン大学・ レオベン校で学位を取得し、Prof.W.Eichlsederともちょっとした知り合いとのことである。 グラーツ工科大と言えば、Prof.W.Eichlseder及び弟のProf.H.Eichlsederの出身校でもある。 この不思議な因縁に感動しつつ、ヨーロッパの歴史や自動車の話をしながらウイーンへと向かう。
 今回、8月22日から27日にかけて、大学間の国際交流協定締結打診のため、オーストリア, ハンガリーを単独で訪問した。機内で会ったS.Oさんとの後日の再会,列車内ではDr.F.R氏との 不思議な繋がり等、"シンクロ二シティー"とも言える不思議な巡り合せを体験する旅であった。 最後にお二人との再会を祈願して筆を置く。

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