*** 2004年2月10日 丹沢 大山 ***

1.子育て地蔵1 2.子育て地蔵2 3.女坂登り 4.大山不動尊1 5.大山不動尊2
6.阿夫利神社
下社1
7.阿夫利神社
下社石段
8.阿夫利神社
下社2
9.富士山1 10.富士山2
11.丹沢連山 12.塔ノ岳
(1491m)
13.三ノ塔
(1205m)
14.丹沢山
(1567m)
15.阿夫利神社
(1251m)
16.大山山頂
北面


 帰省時の2月10日(火)に、I氏と共に表丹沢の信仰の山"大山"(1252m)に挑戦する。彼との登山は、昨年夏の
伊豆天城山(1407m)以来約半年ぶりである。今回は、お互いの体調が万全でないこともあって、彼の馴染みの
コースを登る事にする。但し標高差は約1000mと、私にとって楽なコースではない。
 小田急伊勢原駅に10時に集合し、神奈中バスで大山ケーブル駅に向う。本日は平日とあって、乗客は僅か
5〜6人である。終点(標高約250m)を降りケーブル駅に向かう。石段の両脇には、多くの土産物屋が並んでい
るが、何時ものとおり閑散としている。店が賑わうのは何時なのか、人事ながら心配になる。
 バス停から20分程で大山ケーブル駅に到着する。ここから登山道が女坂と男坂に分かれる。I氏の話では、
その違いは最初と最後の登りの厳しさだけとのことである。つまり、女坂は最初は楽であるが最後の登りが
急になり、男坂はその逆となる。鈍った体にとって、最初からばてては堪らないので、前回同様女坂を行く
ことにする。
 暫く登ると、赤い帽子と涎掛けを着けた地蔵が現れる。標札には"子育て地蔵"とあり、この地蔵に祈ると
子供が健やかに育つ御利益があるとのことである。中々穏やかな形相である。
 30分程でケーブル中間点となる大山不動尊に到着する。手前の石段には、厳しい顔をした童子が、両脇を
固めている。本殿の横を抜けて山道に戻る。更に急坂を30分程登ると、急に視界が開け、豪壮な阿夫利神社
下社(標高700m)が現れる。手前の茶屋の呼込みを振り切り、石段を登って奥へと進む。ここで大休止する。
I氏は腹が減ったと、早速おにぎりを頬張っている。時計を見ると既に12時前である。神社周辺を撮影後、
山頂の阿夫利神社(1252m)に向かう。ここから先の登りがやけに長い。I氏は腕の痛みが残り、体調は今一つ
とのことであるが、登りには滅法強く、私が撮影に熱中している間にどんどん離されていく。更に、前回通
販で買い求めたトレッキングシューズが、右足の踝を圧迫し痛みが増してくる。スピードが上がらないまま、
2時間弱掛かってヤビツ峠への分岐点(標高約1200m)に辿り着く。
 ここからヤビツ峠側に少し下ったビューポイントに向かう。本日は薄靄がかかり、富士も雲海の上に霞ん
で見える。丹沢山系もこの時期にしては積雪が少なく、雪山を狙うために持参した望遠レンズを有効活用で
きない。それでも、雄大な表尾根の稜線や、塔ノ岳,更に奥の丹沢山を眺めていると、日頃のストレスが吹
っ飛びそうな気がする。
 最後の急坂を登りきると、阿夫利神社が左手に見えてくる。奥に進むと、I氏は特等席を確保しつつ酒盛
りの最中である。私も早速弁当を広げ、遅い昼食を採っていると、60歳半ばと思しき男性が我々の傍に腰を
おろす。お喋りが好きな方のようで、登山ルートから伊豆の別荘地まで話が途切れない。聞けば、未だに現役
で、伊豆の別荘で物書きの仕事をされているとのことである。何とも優雅な身分である。私も何時の日にか、
ハワイ辺りに居を構え、トレッキング三昧の生活を送ってみたいものである。
 その後、I氏がタフなオバ・・・・登山隊の事例紹介を始める。彼の話では、急坂をお喋りしながら、息も
切らさず追い抜いて行ったとのことで、その理由についてI氏が解剖学的見地から、興味深い講釈をはじめる。
初老の紳士は笑っておられるが、これを聞いていた中年の登山客は顔が強張っている。I氏の名誉のために、
講釈の中身については差し控えるが、ジョークの解からぬ輩は困ったものである。
 ここから、北側の中継所の脇を抜け、ヤビツ峠を経て蓑毛に下る予定であったが、右足の痛みが激しくなり、
下降困難となったため、ヤビツ峠で間一髪間に合ったバスで戻ることにする。
 今回は休暇を取って帰省時に、I氏と共に丹沢の信仰の山"大山"に挑戦した。I氏には色々御迷惑をおかけ
したが、私自身良い気分転換になった。次回迷惑をかけないためにも、ぴったりのトレッキングシューズを
新たに購入したい。

総歩数:約20,000歩
登りの厳しさ:★★

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