*** 2003年7月28日 中国・タール寺(中国青海省西寧市在) ***

1.front entrance
of Taer Lamasery
2.main gate 3.8 pagodas 4.cloister 5.decorated roof
6.big pagoda 7.decorated
entrance roof
8.rugosa rose
in garden
9.small truck
in temple
10.terraced temples
11.roof of
main temple
12.auditorium1 13.golden roof1 14.corridor 15.prayer
[Mani] wheel1
16.prayer
[Mani] wheel2
17.prayer
[Mani] wheel3
18.Zen riddle 1 19.Zen riddle 2 20.Zen riddle 3
21.Zen riddle 4 22.pink flower 23.east gate 24.golden roof2


  7月27日(月)、青海大学との打合わせ終了後、M先生と共に西寧市内にあるラマ教の名刹タール寺を訪問
する。本寺は、ゲールグ派(黄派:黄色の帽子を被っているのでそう呼ばれる)の開祖ツォンカバの生誕地
として知られ、20以上の寺院が雛壇上に並んでいる姿は正に壮観である。
 門前には多くの土産物屋が並んでおり、その勧誘を振り切って門をくぐると、ラマ教様式の8つの仏塔
が現れる。更に回廊を奥に進むと、さっきの2倍以上もある仏塔が現れる。これを時輪塔と呼ぶそうである
が、その御利益については聞き漏らしたので定かでない。
 次いで通称花寺に向かう。ここは開祖ツォンカパの母が、彼のために遠くから水を汲んできて休んだ場
所とのことで、母が休んだという憩石が置かれている。ただ境内は撮影禁止なので、その恭しい憩石をお
見せ出来ないのが残念である。
 次に参道をそれて、僧侶が住む東側の坂道を歩む。ここからは、チベットのポタラ宮を模したと言われ
る本殿が望めるが、規模も小さく似て非なるものというところであろうか。
  チベットの話が出たところで、少し脇道にそれて、この寺と日本人僧(?)との関わりについて記す。
ここで、チベットに潜行した日本人と言えば、明治時代の禅僧"河口慧海"と第二次大戦中の日本軍スパイ
"西川一三"が著名である。前者の河口慧海はラマ僧に身を窶し、ネパールのツアーラン村からカイラス山
を巡ってラサに入ったのに対し、後者の西川一三もラマ僧に変装して、内モンゴルフホホトから青海省を
経て、約2年かかってラサに潜入している。彼はラサに向かう途中、モンゴル出身のラマ僧"ロブサン・
サンボー"として、実際にタール寺で約3ヶ月間修行をしている。彼の8年間に渡る潜行については、彼自身
の著書"秘境西域八年の潜行(中央公論新社版)"に詳述されているが、タール寺に関しては、"ドンゴー"と
呼ばれるチベット風五目飯が、大変美味であったと記載している。その他、ラマ僧の性の特権他について
も記されており、その情報収集能力と記憶力には脱帽せざるを得ない。ガイド嬢は、この事実は知らない
模様で、全く西川一三については名前すら紹介しない。
 ここで、西川一三を偲びつつ奥に進むと、小さな花壇に咲いているハマナスが目にとまる。ハマナスは
森繁久弥作詞の"知床旅情"にもあるとおり、日本では浜辺に咲くものと思っていたが、標高2000mを越す
高原にも適応しているようである。更に進むと、木々越しに大金瓦殿が現れる。金色に輝くこの屋根には、
1トン以上もの金が使われているとのことで、かつてのラマ教の絶大な権力と集金力が偲ばれる。
 坂道を降り大経堂に入る。ここでは、かつて3000人もの僧侶が一同に会したとのことであるが、現在は
中国政府の宗教弾圧のせいか,なり手がないのか理由は定かでないが、僧侶の数はかつての約1/5に激減
している。堂内の西側中央部には、ダライラマ,パンチェンラマと共に開祖ツォンカバの像が鎮座してい
る。所で、堂内の灯明は全てバターを使っており、不思議なことに全く煤を出さない。灯明のバターが減
ってくると、若年の僧侶がビニール袋の封を切って、バターの塊を足して行く。かつては、ヤク(高地に
住む牛の一種)の乳から取った濃厚バターを使っていたと思われるが、市販のバターとは何とも味気ない
限りである。一方、堂内の百本程もある全ての柱には、実に素晴らしい模様の厚手の絨毯が巻かれており、
独特の雰囲気を醸し出している。余りのも見事なので、撮影したい衝動に駆られるが、ここは仏に敬意を
表してじっと我慢をする。
 大経堂を出ると、やっと写真撮影OKとなる。巨大なマニ車を撮影後祠を出ると、ラマ僧達が中庭で教義
問答(禅問答に類似)に興じている。彼等の表情が余りにも生き生きしているので、急いで300mm望遠レンズ
(CMOSセンサーの関係で480mm相当に増大)に交換して、彼等の真剣な問答ぶりをF4開放で撮影する。手ブレ
が心配であったが、何とか写真になっておりほっとする。この辺は、IS(手ぶれ補正)付EFレンズの威力で
あろうか。ここから、更に油花院を見学して帰路に着く。
 今回は、大学間の国際交流推進のため、7月25日から28日にかけて青海省の省都西寧市を訪問した。正直
言って、発展の遅れた僻地というイメージを持っていたが、青海大学の絶大な御協力のお陰で、前向きな
討議ができ、有意義な3日間となった。機会があれば、更なる交流を深めるために、今年中に西寧を再訪し
たい。《後日談:9月後半に本学と大学間の交流協定を締結し、共同研究プロジェクトを立ち上げることに
なった。》

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