*** 2003年7月27日 中国・青海湖 ***

1.チベット族の
バザール1
(青海湖)
2.チベット族の
バザール2
(青海湖)
3.チベット族の
バザール3
(青海湖)
4.チベット式
輪投げ
5.チベット族の
家族1
6.チベット族の
家族2
7.原子城の
モニュメント
8.紫色の花
(原子城)
9.白色の花1
ジンチョウゲ科
ステレラ・
カマエヤスメ
(原子城)
10.キク科の花
(原子城)
11.白色の花2
(原子城)
12.黄色の花
(原子城)
13.ミヤマリンドウ
(原子城)
14.白色の花3
(原子城)
15.紫色の花
(原子城)
16.タルチョ
(原子城)
17.菜の花畑1
(青海湖)
18.菜の花畑2
(青海湖)
19.菜の花畑3
(青海湖)
20.菜の花畑4
(青海湖)
21.菜の花畑5
(青海湖)
22.菜の花畑6
(青海湖)
23.菜の花畑7
(青海湖)
24.菜の花畑8
(青海湖)
25.チョルテン
とタルチョ
(青海湖)
26.ラマ僧1
(青海湖)
27.ラマ僧2
(青海湖)
28.ラマ僧3
(青海湖)
29.青海湖畔1 30.青海湖畔2 31.青海湖対岸の
砂丘
32.青海湖対岸の
菜の花畑
33.ラマ僧4
(青海湖)
34.チベット族の
家族
(青海湖)
35.M先生と
(日月山)
36.月亭 37.文成公主の碑
(月亭)
38.文成公主の
タイル絵
(月亭)
39.天井の装飾
(月亭)
40.タルチョ1
(日月山)
41.菜の花と
大麦のモザイク1
(日月山周辺)
42.菜の花と
大麦のモザイク2
(日月山周辺)
43.白ヤク1
(日月山)
44.白ヤク2
(日月山)
45.白ヤク3
(日月山)
46.白ヤク4
(日月山)
47.タルチョ2
(日月山)
48.エーデルワイス
(日月山)
49.オヤマノエンドウ属
の花
(日月山)
50.デルフィニウム
(日月山)
51.青色の花1
ワスレナグサ属
(日月山)
52.青色の花2
ワスレナグサ属
(日月山)
53.菜の花と
大麦のモザイク3
(日月山周辺)
54.断層地帯
(日月山付近)
55.菜の花と
大麦のモザイク4
(日月山周辺)
56.菜の花と
大麦のモザイク5
(日月山周辺)


 7月27日(日)、青海大学の御好意でM先生と共に、西寧市から約150Km離れた青海湖に出かける。M先生は、 塩水中で増殖する浄化作用を有する藻の大家で、青海省,チベット高原の塩水湖で環境浄化に有効な藻を 繁殖させ、不毛の大地と化した中国西部地域の環境改善に役立てる壮大な夢をお持ちである。
 朝9時頃、青海大学の方々と共にホテルを出発する。途中の村々には、菜の花と共に高地にしか育たな いチンコウ麦が栽培されており、丘陵全体が黄と緑のモザイク模様に見える。途中で停車して、この光景 を撮影する。運転手さんから、青海湖の近くにもっと素晴らしい菜の花畑があると聞き、早々に切り上げ 先を急ぐ。
 青海湖に近づくにつれ、広大な草原が広がるようになる。更に進むと、こんな人っ子一人いないような 所で、警官が交通整理をしている。聞けば、本日この地でチベット族の競馬大会が開催されてとのことで、 急遽道草してこのイベントを見学することにする。車窓からはヤク(高地に住む牛の一種)も見られ、更に 車前方から賑やかな人声や音楽が聞こえてくる。車を降り会場に向かう。俄か作りのメインストリートに は、食べ物屋が列をなし、丁度昼時とあって熱心に客寄せを行っている。暫く行くと、大勢の人々が取り 囲んでいる一角に出くわす。地面には、何種類かの値札と煙草が、略均等に並べられている。このゲーム は至って簡単で、客がタイヤを転がし、どちらかの的にすっぽり入ると、値札に相当するお金か煙草が貰 える仕組みである。その先にも同様の店があり、今度はラジコンカーが多数並べられているが、初期投資 が高いのか、客は誰一人として入っていない。
 更に行くと草競馬場が現れる。ついさっき、草競馬を見物してきたと思しき親子が、此方に向かって歩 いてくる。一張羅のようなカラフルな衣装を纏っているので、思わずシャッターを切る。ただこの辺りは、 普段は遊牧地域であるので、うっかりしているとヤク,羊,或は馬の家畜の落し物を踏んづけることにな る。30分程で見物を切り上げ青海湖に向かう。
 途中、原子城なる石碑のある箇所で用足しのため小休止をする。この辺りは、かつて原子爆弾が開発さ れた地域で、万が一爆発事故が起きても被害が少ないということで、この地が選ばれたそうである。核実 験は遥か遠くのタクラマカン砂漠で行われたが、砂漠周辺にはウイグル族が、この辺りにはチベット族と その何倍もの家畜が住んでいるわけで、要は漢民族に被害が及ばない土地で核開発を行った模様である。 原子城の周りには、美しい高山植物が咲き乱れ、素早くシャッターを切って車に戻る。車に乗り込むと、 何とも言い様の無い"芳香"が足元から漂ってくる。さては、落し物を踏んづけたのかと恐る恐る靴の裏を 見るが、特に異常は無い。結局、M先生が被害に合われたことが、後で判かる。
 更に1時間ほど走ると、運転手の方の御指摘通り、突然目の前に見事な菜の花畑が現れる。畑の周りに は進入を防ぐための鉄条網が設けてるが、それを潜り抜けて畑の中で戯れている怪しからん女連れがいる。 何枚か撮影した後、青海湖の波止場に向かう。湖の手前にはラマ教様式の巨大な仏塔が建っており、その 裏手では、ラマ僧が電々太鼓と鈴で軽やかなリズムを取りながら、延々とお経を読んでいる。信心深い観 光客は、次から次へとラマ僧にお布施を差しだしている。
 波打ち際まで行くと水は少し濁っていて、澱んだところには緑色の藻(M先生の研究されているのはミク ロな藻)が生えている。この湖も汚染が進んでいるようである。従って、自分の舌で塩分濃度を確認するの を急遽中止する。後でM先生に伺った所、海水の半分程度のしょっぱさとのことである。流石に学者である。  所で、青海湖(標高約3200m)は琵琶湖の約6倍の広大な面積を有するが、水深は僅か19m程度しかない。 近年、地球温暖化の影響かどうか不明だが、毎年10数cmのレベルで水位が低下しており、このペースだと 百数十年後には、ロプノールの如く干上がってしまうと言われている。また現在の塩分濃度は、それ程高 くないため冬季は凍結するが、水位の低下と共に濃度が上昇し、チベット高原の如く不凍湖になってしま う可能性がある。そうなると、更に蒸発が進み、今世紀中に干上がってしまうかも知れない。こんなこと を憂いている内に、高山病の初期症状で頭痛がますます酷くなり、考える気力が失せる。
 次に、青海湖を後にして、日月山(3520m)に向かう。頭痛に堪えて、喘ぎながら参道を登る。山頂の日月 亭の中央には石碑が据えてあり、それには唐の時代にチベットに嫁ついだ文成公主《後日談》の逸話が記されている。 周辺の壁にはその光景を描いたタイル画がはめ込まれている。当時は、ここが唐と吐蕃(チベット)との国 境であり、文成が母に最後の別れを告げるため、手にした宝鏡を長安の方角に向かって投げ放ったとある。 彼女を偲びつつ日月亭を出ると、ヤク使いが観光客を待ち構えている。白ヤクの背中に掛けられた毛布が 美しい。この勧誘には乗らずに下りにかかると、美しい紫の花(デルフィニウム)が目にとまる。逆光の中に浮かび上がった 幻想的な光景を、息を凝らして撮影する。更に数メートル下ると、何とオーストリアの国花"エーデルワイ ス"が咲いている。意外と地味な花であるが、よく見ると寒さから身を守るためか、花弁に細かい毛が密生 している。何回も訪問した本場オーストリアでは巡り会えなかったのに、初回の青海省でお目にかかるの も何かの御縁であろうか。こから西寧への帰路に着く。
 今回は青海大学を訪問した合間に、青海湖他を訪問した。高山病の初期症状の影響で、体調は万全ではな かったが、雄大な大自然や可憐な高山植物に出会えて、見も心もれフレッシュ出来た。機会があれば、凍結 した青海湖を是非訪問したい。


《後日談》
2017年2月15日早朝、眠れぬままに、明治の怪僧・河口慧海著"チベット旅行記"を再読していたところ、彼の"文成公主"に関する記述が見つかったので、その一部を引用する。
それには、
『実はこの"文成公主"がこの国に来てから、仏教および文字の必要を感じて、仏教修行のためかつはチベット文字を拵えるために、天資英邁の人を選んで16人、インドへ送ったのでございます。その結果チベットにはチベット文字ができ、その文字で仏経も翻訳されることになって、その後だんだん仏教が起こってきたのです。それは今(注1901年3月21日時点)より、1300年ほど以前のことで、歴史上からいってもまたシャカムニ仏の経歴からいっても、非常にありがたいことであります。・・・』
とある。つまり、7世紀後半の唐とチベットとの政略結婚の結果、チベットに仏教が伝来し、チベット文字も生まれたことになる。当時の国境に建つ"文成公主"の記念碑を、私が14年ほど前に訪問したのも、何かのご縁であろうか。

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