風の竪琴 PART II 1-10
・永遠のなかで(2007.2.3)
・悪戯(2007.2.4)
・鏡の奥へ(2007.3.29)
・失語症(2007.6.24)
・もの(2007.6.24)
・救い(2007.6.28)
・理由(2007.7.5)
・美しい(2007.7.5)
・腹を立てる(2007.7.10)
・痛み(2007.7.10)
永遠のなかで
2007.2.3竪琴の運ぶ夢のなかで
私ははるかな翼をもち
あなたに会いにでかけるのだ
ときにこの宇宙のはるか彼方にまでこの宇宙はあまりの不安から
はじけるように生まれたのだが
それもまた夢のなかでのこと
めざめてみれば宇宙そのものが夢で
私は永遠のなかにあることに気づく竪琴の奏でる悲しい歌は
あなたと私の恋の歌
出会いと喜びとそして別れ
私の胸は張り裂けて
血の色の星になるけれどそれもまた夢のなか
目ざめてみれば
あなたはいつもそこにいて
永遠の外に出たことなどないのだと気づく
宇宙そのものが夢以外のものではないように
悪戯
2007.2.4生まれ変わり死に変わり
心は転変し幾多の河をなして流れた
星を仰ぎ大樹のもとに休らい恐れて洞のなかに眠った男となり女となり獣ともなり
かたちあるものを信じ溺れ
そしてかたちなきものにみずからを委ねたここはここでなく彼方は彼方でなく
古は遠い未来へと繋がり
遠い未来はこの時のなかで響き渡った私は耳をそばだてて
かつて私であったもの
いずれ私になるであろう者の声を聞くああすべては幻だというのだろうか
ああすべては幻なのだ
幻の揺れる灯火のもとで
蛾はひとときの夢を見る
その夢のなかで世界は激しく燃えたつのだ
そしてその蛾さえも蛾であったことさえすべては幻生まれ変わり死に変わることも
心の灯籠の回転する影の遊戯の笑みにすぎず
それでいてその遊戯をこそを私は欲し
悪戯坊主のように永遠の園を逃れたと思ったのだ
けれど決して永遠の園を離れることのないままに
鏡の奥へ
2007.3.29あなたはどこにいるの
あなたは鏡に映る影
鏡の裏にあなたはいないように
あなたはそこにはいないここはどこ
わたしは鏡に映る影
鏡の表から離れることは
わたしにはできないあなたという鏡の影に
出会ったときのことは決して忘れない
でもわたしもまた鏡の影二つの合わせ鏡のなかで
影と影が無限の影を映し合う日々
でもそれは決してほんとうには出会えない日々
そこにいるのにそこにはいない・・・ここはどこ
あなたはどこにいるの
ほんとうのあなた
そしてほんとうのわたしはほんとうのあなたのいる
鏡の奥へと続く道を探して
わたしは旅を続ける
果てしない旅をそれはどこにもない道
その道を探すためには
時を超えなければならないという
過去にでも未来にでもなく
今という影の光源へと遡りながら手がかりは言葉の精霊の地図
正しく問うことができれば
精霊は光源への道を示してくれるのだという
そして間違った問いは
闇の底の割れた鏡の国への標となる鏡の奥へ
影の国のわたしは
光への問いを探し
旅を続けてゆかねばならない*「言語と真剣に取り組むときには、いわば「言葉の精霊」と出会わなければ なりません。
(…)それはまだ人間の意識的な自我生活、イメージ生活を通過しなかったものを
言語から取り出す言葉なのです。そして言語はそのようなものを多く持って います。」
(ルドルフ・シュタイナー『ギリシアの神話と秘儀』第7講より
シュタイナーコレクション4『神々との出会い』筑摩書房所収/P.180-181)
失語症
2007.6.24沈黙でしか伝えられないところで
ことばがかるがると使われてしまうそのかるさのまえで
ぼくは深くことばを失い続ける認識ということばが
うつろに踊る死体のように
認識なしに使われる他者ということばで
とほうもない遠さが
センチメンタルな近さにすりかえられて
さらに遠いものになってしまうそんなことばたちと手をとりながら
死の踊りをつづけることのできないぼくは
ことばを失いつづけたまま
沈黙の見えない道をたどり
失われたものをさがしてさまよいつづける
もの
2007.6.24こころは目にはみえないけれど
ほんとうはほら
ずっとたしかなかたちをもっているんだ
たえずすがたを変えながら
深い深い重さをさえもちながらひとは愛したがっているのだろうか
ひとは愛されたがっているだろうか
ものよりもずっと重いこころをもってけれども
ものはこころよりもずっと
深い悲しみをかかえているのだろう
そのとほうもないうつろさとともにものは愛されたがっているのだ
ものは愛したがっているのだ
たとえ滅びゆくものだとしても
いや滅びゆくものであるからこそ
救い
2007.6.28救われるために生きるのをやめよ
きみはすでに救われているか
決して救われることがないかのどちらかだ救うために生きるのをやめよ
ひとはだれも救われることで
救われることはないのだからひとときの気やすめはあるだろう
お金があれば
愛されれば
病気が癒えればしかしその気やすめは
あらたな渇きを見出すための
契機にしかすぎなくなることだろう救いがないというのではない
救われようとしたり
救ったりすることでは
救いは訪れないというだけのことだ救いはつねにある
ぼくのてのひらにある
あなたのひとみのなかにある
風のそよぎのなかにある救いがあるからといって
苦しみがなくなるわけではない
悲しみがなくなるわけではない
汗が必要でなくなることもない
血を流さずにすむということもない
ただそれらがあるべくしてあるということに
気づくことができるというそれだけのこと救われたり救ったりする麻薬に気をつけなさい
その麻薬は救いをあなたから遠ざけてしまうから
理由
2007.7.5それぞれのひとには
それぞれのひとの
理由があるだろう
けれどそれは
ぼくの理由ではない
ぼくの理由は
いやおうなくぼくの理由として
どこか知らないところから降りそそいでくるあなたの理由を
ぼくの理由にできるなら
ぼくはなんと幸せなことだろう
幸せになりきれないのは
あなたの理由が
ぼくの理由そのものになりきれないからだそれでもあなたの理由に
ぼくの理由が交わって
どこかで同じ場所を持てるならば
それはそのことだけで
生きることそのものの
理由になれることもある
そんなささやかな場所で
ぼくの理由が激しく輝いたりもするのだどこか知らないところからくるぼくの理由は
どこか知らないところで
あなたの理由と密会をしているのかもしれない
その場所をぼくは知ることができないが
それでもどこかあこがれのようなものとして
ぼくのなかのどこかで輝き続けているような気がする
美しい
2007.7.5美しいはわたしを変える
変えないものに美しいはない
美しいに出会うと
わたしはそれまでのわたしでいることはできなくなる悲しいはわたしを連れもどす
はるかな過去の風景とそこで演じられた物語に
そこでわたしは泣きそして途方に暮れた
わたしは悲しいから生まれた好きはわたしを連れ去る
どこにもないかもしれぬ幻の場所へと
ふるえるような手に足に腹にやむにやまれぬ熱をかかえて
好きのかなたにあるだろう欠落へのおそれを予感しながら
腹を立てる
2007.7.10腹が立つというのならば
それまで腹は寝ていたのだな
寝ていたのならば寝かせてやれ
寝た子を起こすようなことはするなどうしても立ちたい腹ならば
立つ瀬がなくならないうちに
立つ場所をつくってやれ
お立ち台で踊ってみるのも
余興としては面白いだろうとはいうものの
我知らず踊っているときはいいが
他人様を見るように自分の踊りを見てしまうと
お立ち台から降りるに降りられず
宙吊りになってしまう
ふりあげた拳をどこに降ろすかを心配するように
どうやって降りるかを思案することになる腹が立つとき
その原因である相手を拝めるか
右の頬を打たれたら左の頬を差し出せるか
偽善ではなく宇宙法則の積極的な展開として
それとも相手の奥底に流れる
はるかな悲しみへの共感としてさて、腹を立てるのは自分だが
腹が立つというときは
英語のitやドイツ語のesのようなものが立ち上げるのか
それは雨が降ったり雷が鳴ったりするようなものかもしれず
自分はどこかに隠れてしまうときもあるのかもしれない
自分が腹を寝かせようとしても寝かせることはできなくなり
なにやらわけのわからないものが立ち上がってくる
その正体やいかに
痛み
2007.7.10ふれる
痛みに
からだの
そして
こころの痛みは
いまここにいることを
あまりにも耐え難いものにする
そしてそれがまさにわたしの痛みであることで
ほかのだれもから切り離されてしまい
わたしがいまここにいることを
絶対的なものにしてしまう眠ればひととき痛みはわたしから遠ざかるが
そのときわたしはそこにはいない
わたしが帰還するとき
痛みもまた帰還する
けれどそのわたしと痛みの帰還の
ほんのわずかなずれが
わたしと痛みとの不思議な関係を暗示する痛みはどこからやってくるのだろう
痛みはだれが招くのだろう
わたしの痛みは
不思議なずれをともないながら
わたしとともにあり
なにかをわたしに暗示するべく刻みつける
痛みの源にあるだろう
わたしの存在の秘密にかかわる徴を