《線》
2014.8.8

白紙に線が引かれる
それはなにか

線は世界を区切り
かたちを遊戯する

白紙はものか無か
線はその捧げものか

線が文字になり
言葉になる

それは読まれ
ときに歌われる

白紙になにが起こったのか
線がなにをしたのか

点は線になり
線は面となるか

面は線となり
線は点となるか

謎のように
白紙に線が引かれる

謎のように
世界に線が現れる

☆風遊戯《線》

◎「線」で書いてみようと思ったのは、最近再刊された近藤譲の『線の音楽』(アルテスパブリッシング 2014/7/1)とティム・インゴルド 『ラインズ 線の文化史』(左右社 (2014/5/21)がきっかけ。とはいえ、それらの本と今回のテーマは直接的には関係ないかと思います。

◎世界にさまざまなことが起こり、それがさまざまなかたちをとって現れてくることの不思議を、白紙と線、世界と線ということで書き付けてみました。ちょっとした抽象絵画かコンセプチュアルアート、または音楽の遊びのような感じでしょうか。

◎世界は三次元のようにイメージされますが、実際私たちの前には平面しか見えていませんし、その平面もさまざまな線の遊戯のようにしか現れてきません。色の遊戯ということもできるかもしれませんけど、ここではそれも含めて「線」として象徴させてみました。もちろん、音の世界も同様に。

◎白紙を絵巻物にしたり、歴史にしたり、天空の地図にしたり、はたまた時空の場にしたりすることもちょっとした想像力さえあれば簡単なこと。

◎ひょっとしたら、わたしたちの心的な現象もこうした白紙と線のような感じでイメージできるかもしれません。そこで生みだされる線の動きとそれが生みだしたように思える意味のようなものに、わたしたちはさまざまに反応していきます。とても神秘的なことだともいえます。謎のような。

◎世界という白紙からさまざまな「もの」が現れては消えていきます。生も、そして死も。素粒子からはじまる物質もそうですが、もののけの「もの」もまた。シンプルなところから、極めて複雑なところまで、白紙と線を使った瞑想などでもいかが。