《変化》
2014.8.6

  ーー広島原爆の日に

変わりたい!
ある日
そう決意する

けれど
人は変わり
また変わらない

食べ物の好き嫌いひとつ
変えることはむずかしいだろう
愛と憎しみは
勇気と躊躇のまえで
せめぎあい
そしてもとの場所に
帰っていったりもするから

いつのまにか慣れてしまうことだってある
それが良いことか悪いことかはわからない
暴力のまえで麻痺してしまうこともあるからだ
目の前の世界が広くなるなら素敵だけれど

ジョンケージの四分三三秒が
聞くことと聴くことを変えたように
ものさしを変えるきっかけはほしいけれど
その種から果実を得るためには
土や水や光
そしてこの手が必要になる

変わる
変わらない
ぼくも
そしてきみも
お金でなんか買えないもの
見ることさえできないもののまえで
ぼくらはせめぎあう

変わりたい!
そう思ったとき
種を植えることにしないか
嫌いなものという種だ
種をその手にとって
自分という心に植えてみる
芽はでるか花は咲くか
希望は心の箱に残っているか

 

☆風遊戯《変化》ノート

◎今日8月6日は広島原爆の日。69年目の夏。
  いまだ原発とさえ、サヨナラできずにいる。そんな日のひとこととして。

◎いくら声を荒げて人を社会を変えようとしても変わることはないだろう。目や耳が頑なに閉ざされてしまうだけだ。希望はいつもひとりひとりの心のなかにある。そこにしかない。パンドラの箱のような心のなかに。その箱には最後に「希望」だけが遺されている。その芽を育てるか、枯らしてしまうかは、わたしたちに委ねられている。

◎佐々木敦『「4分33秒」論/「音楽」とは何か』(発行:株式会社Pヴァイン/2014.6.14発行)を(なんだか、いまさらという感じもするのだけれど)読んでたりする。ジョン・ケージの音楽から、いろんなことを話している本。思っていたよりも面白い。

◎おそらくだれでもそうだと思うけれど、4分33秒のあいだピアノの前にただ座っているだけの音楽の話を聞いたときには、それなりに興味をひかれたことだと思う。佐々木敦の好きなジョン・ケージの言葉にこういうのがあるという。「あなたに出来ることは、突然聴いてしまうことだ」。そこで大事なことは、おそらく「突然聴い」たあとどうするかなのだろう。実験的な試みをおもしろがっているだけでは、何も変わることはないだろうから。食べ物は食べてはじめて栄養になる。

◎話は、「変わること」について。だれでも、自分のいろんな限界を克服したいと思っている反面、ゼッタイ変わりたくないと思っているところもそれなりにあるだろう。けれど、それなりに人は変わっていかざるをえない。どうせ変わるのであれば、自分を豊かにできるほうがいい。とはいえ、それはそう簡単なことじゃない。ゼッタイ嫌いなものを好きになるのがむずかしいように。

◎だれでも、自分はそれなりに正しいと思っているし、そう思い込んでいる。その部分を変えたいとは思ってもみない。変えなくてもいいかもしれないけれど、ひょっとしたらそこにこそいちばん大きな課題があるのかもしれないにもかかわらず。嫌いで、反対で、憎んでいるものを理解すること。それが身近なところにあるものだったらなおさらのことむずかしい。だからこそ、そこが死角になってしまう。人は変わる必要のあるところで変わらないし、よけいにマズイ方向に変わっていくことになるかもしれない。むずかしいところだ。

◎イリイチの遺言的な著書『生きる希望』にこうある。「「未来」などない、あるのは「希望」だけだ」。そのことを今日はあらためて考えてみたいと思っている。自分のなかに植えた「種」が「希望」となるかどうか。