《ふろしき》
2014.7.25

つつんで
むすんで
ひらいて
たたんで

姿は変幻自在
かたちを決めないで
そっと寄りそい
わかれたあとは
さりげなく

つつんで
むすんで
ひらいて
たたんで

ふろしきになれたら
わたしという場所は
宇宙が息をするように
ひろがっったり
つつみこんだり
おりたたまれたり

つつんで
むすんで
ひらいて
たたんで

ふろしきの音楽があったなら
そこにはどんな音も
包みこむことができるだろう
ひらくとそこから放たれて
鳥のように空をゆく

つつんで
むすんで
ひらいて
たたんで

ふろしきの科学があったなら
そこにはどんな真実も
包みこむことができるだろう
世界のかたちに寄りそいながら
わたしの場所にも届くだろう

つつんで
むすんで
ひらいて
たたんで

ふろしきになれたら
あなたをつつんで
むすんでみたい
そしてひらいたそのあとは
小さく小さくたたまれて

つつんで
むすんで
ひらいて
たたんで

ふろしきのわたしは
たたまれて生まれ
ひらかれながら
世界をつつみこみ
そしてむすび
また死へとひらかれてゆく

 

☆風遊戯《ふろしき》ノート

◎風呂敷は「述語性の文化技術」だという。山本哲士『哲学する日本 非分離/述語性/場所/非自己』(文化科学高等研究院出版局/2012.2.11)が刺激的に面白い。今回は、その風呂敷についてのところを少し。

◎「風呂敷は一枚の布である。この風呂敷はいかなるものでも「包む」ことができる。書類や本はもちろんのこと、ビール瓶でもスイカでもほとんど持ち運べるものならなんでも包むことができる。鞄はそうはいかない。スイカや一升瓶ははいらない。この、風呂敷の技術は、相当に高度である。なんでも選ぶ物の方に合わせて包むことができる。箸の多様な述語機能のように、包む、結ぶ、運ぶ、巻く、まとめる、覆う、隠す、かざる、保護するなど多様な働きをする。/これは「対象」に合わせる技術である。これを「領有」とわたしはくくる、<所有>という主語的行為とは逆の述語行為に関わる仕方を言う。自らの方が対象に合わせて変幻自在に変わりうる技術であるが、対象から離れてはいない。対象と非分離にあって相手・対象に呼応しうる技術が、「述語技術」である。適用とか適合、合一というのではない、最初から技術的に非分離になるように作られているのだ。非分離関係に置かれていることで、述語的に作用しうる。」