《軽口》
2014.7.17

こんぺいとうは
いとをかし
おかしのなかでも
いとをかし
つのがにょきにょき
のびてきて
あっというまに
おほしさま

もののけさまは
ものものし
もののなかでも
ものものし
みえないすがたで
おばけだぞ
さみしがりやで
でたがりや

にほんのひとは
にほんのはしで
ひとつのものを
つまみます
かたてでてびょうし
できないように
はしもにほんで
ひとつです

おしりふりふり
しりたがり
ふりふりだんす
おどります
ふっておどって
そのあとは
しりたくもあり
しりたくもなし

くちがかるくて
すみません
くちがすべって
しまいます
ついついほんねが
こぼれます
おもいくちだと
つかれます

 

☆風遊戯《軽口》ノート

◎暑くなってきたので、暑苦しいのではなく、軽口でも。ジョークを言うというよりは、軽口をたたくといういい方のほうが好きです。世の中、重い話が多すぎて、そのくせそこで使われている言葉もあまりにものものしく、かつあまりに内容がなく軽い。ちょっと疲れ気味なので、今回は「軽口」で。

◎以下、それぞれのテーマについての蛇足。ほんとうは最初の「こんぺいとう」だけでもよかったのだけれど、ついでに「遊戯」にしてみました。

◎金平糖は、寺田寅彦の随筆を思い出したので。今回の「軽口」もそれが誘い水に。以下、その随筆「金米糖」から。「この金米糖のできあがる過程が実に不思議なものである。私の聞いたところでは、純良な砂糖に少量の水を加えて鍋の中で溶かしてどろどろした液体とする。それに金米糖の心核となるべき芥子粒を入れて杓子で攪拌し、しゃくい上げしゃくい上げしていると自然にああいう形にできあがるのだそうである。/中に心核があってその周囲に砂糖が凝固してだんだんに生長する事にはたいした不思議はない。しかしなぜあのように角を出して生長するかが問題である。」云々。

◎「もの」は物質でもあり霊でもある。物質だといっても、たぶん私たちは「もの」そのものをみてなんかいない。見ているのは、マーヤ(幻)。だから唯物論的に世界を認識しようとする人は、幻を現実だと思い込んでいる。ある意味で、世界は「もののけ」で「おばけだぞう!」といっているのに気づかないか、ただただこわがってしまうだけになる。

◎なんだか今の日本は「日本」「日本」となんだかうるさい。「日本」といえばいうほと、「日本」はどこかにいってしまうのではないか。小林秀雄が本居宣長の「大和魂」について示唆しているようなものだと思う。「大和魂」は国粋的なあり方なのではなくて、「もののあはれ」を知ることや「生活的な知恵」のことだといいます。たとえば、お箸なんかも、そういう大和魂的なものなんじゃないかなあということで、少し。

◎お尻の話は、世の中の賢げな人の言うことを見て(聞いて)いると、あまりに馬鹿馬鹿しくなることがあるので、「知りたがり」にかけてみました。

◎最後は「軽口」についてちょっと。ぼくは面倒なのもあって、気取ったり、おべんちゃらをいったり、偽装したりするのが苦手。ということで、今回は「軽口」でした。