☆風遊戯《永遠の少年》ノート
◎イメージするのは、良寛の書「天上大風」。
◎成熟という名には、ふたつの対極があって、嫌な成熟のほうは過去の堆積や経験でがんじがらめになっている、世慣れた成熟。もうひとつの成熟(だとぼくが思っているの)は、知っていることをすべて忘れてもそこにたしかにある魂の形としてある成熟。成熟という名前は似つかわしくないのかもしれないけれど。
◎人は過去にしばられている。ぼくはかつて数学が好きだったことがあったのだけれど、その理由は、いつも最初から考えることができたからだった。そしてそれがある体系のなかで証明できたりする。証明なんて正直いってどうでもよかったのだけれど、自分で一から考えることができるということが喜びだった。だから、公式などは一切記憶しないで、自分でなんども公式をつくることができることがうれしかった。もちろん、数式のなかに数を代入して答えをだすようなことを数学だとは思えなかった。
◎しかし、人は多く過去にばかりしばられている。それは同時に、結果にしばられているということでもある。知識というのもそのひとつだ。「そういうものだ」という過去の亡霊のようなものもあって、どこからやってくるのかわからないままに、理由もわからずひとを縛り付けていく。
◎もちろん、すでにぼくもたくさんのものに縛られすぎて身動きがとれなくなっているのだけれど、理想としては、大空を吹きぬける風のようになって、あらゆる過去の呪縛からのがれて、そしてもちろん、未来という過去の投影からも自由になって、遊び続けたいと思う。それを「永遠の少年」と表現してみました。たまにはこういうのもいいだろうと。
◎今回のテーマを書くことになったきっかけは、河本英夫『<わたし>の哲学/オートポイエーシス入門』(角川選書/平成26年5月25日)。「日々新たな自己になること」について、「少年」というコンセプトで、寺田寅彦、マティス、坂口安吾がとりあげられ、「人間が秘める力を最大限に発揮し、新たな能力を形成する」ものとしてオートポイエーシス理論が新たな切り口から紹介されているとてもスリリングな本。
◎この本の「あとがき」から。「オートポイエーシスは、新たに経験のプロセスを経て、新たに自分自身の経験を拡張し、それによって気が付いたときには新たな自分が形成されている仕組みであり、そうした経験の仕方を示したものである。その意味で、つねに哲学の課題となっているものを経験科学や芸術的制作に接点があるようにリセットしてある。その意味で、こうした試みは、哲学のひとつの「ゆくえ」を示している、と考えている。」
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