《出発》
2014.6.7

手荷物はいらない
必要なのは勇気だ

勇気がないなら
ユーモアをもつがいい
自分さえも笑い飛ばせるような
そんな洒落でもひとつ

食べればおさまる空腹のように
手にすれば失われてしまう
欲望という名のわたしのさまざまな影
光を求めれば必ず現れてくる幻

そんな幻さえも導き手として
迷いながらも出かけるんだ
まだ見ぬはるかな場所へと

だれかがわたしを呼んでいるのか
わたしがだれかを求めているのか
幻灯のように予感がぐるぐるとまわる

満たされることを求める欲望よりも
どんなときにも失われることのない
たしかな星の印を胸に刻んで

叫びたいほどの不安や痛みが
襲いかかってくるとしても
それさえわたしがわたしへとむかうための
大切な道しるべになると信じ

歩きはじめるんだ
わたしのなかに秘められているはずの
アルファとオメガが焦点を結ぶ場所へ

 

☆風遊戯《出発》ノート

◎少しばかり古めかしいフォークソングのようなノリになりましたが、「出発」のポエジーです。

◎どこへ向かって出発するか。それは、まだ見ぬ場所であり、同時に自分のなかの原点ともなった場所でもあります。アルファでありオメガであるということ。

◎自分の外へと何かを求める行為としてなにかを求めるということは、欲望の充足に他なりませんが、食欲や物欲や性欲や睡眠欲などなど、さまざまな欲望のことを見ればわかるように、それらは満たされたときに失われてしまうようなはかないもの。そしてまた性懲りもなく甦ってきてわたしたちにつきまとい続けます。

◎そうした欲望というのは、光がつくりだす影のような存在でもあって、その影は、仏教でいうような四苦八苦そのものでもあるのですが、その影がなければ人は生きていくことができません。けれども、その影の根源には光があります。光があるから影ができるわけです。そのように、影の根源には、満たされたとしても決して失われることのない光、光の源があるはずです。

◎影さえも導き手としながら、見えない光の根源へと向かって「出発」すること。オメガへと向かうことがアルファへの帰還でもあるような、そんな「出発」を表現できればと思いました。

◎『わたしはアルファであり、オメガである。』というのは、ヨハネの黙示録1章8節。

◎前回の風遊戯の《えれじい》の関係で、小室等の「雨が空から降れば」をご紹介しましたが、その小室等の率いる六文銭というグループのヒット曲に、上条恒彦の歌う「出発の歌(だびだちのうた)」というのがあったことを思い出したのがきっかけかもしれません。
*You Tubeで映像があります
上條恒彦と六文銭『出発の歌 -失なわれた時を求めて-』(1971年11月、発表)
http://www.youtube.com/watch?v=rWNbtM2jHc0