《パッション》
2014.3.26


パッションがくる!
それを受けいれるとき
私は海を泳ぐ魚のようになるけれど
受けとめられないとき
私は洪水に呑まれてなすすべがない

たったひとつのことばで
傷ついてしまう私のパッションがある
そんなとき私は小さな杯で
あふれるほどの潮を掬おうとしているようだ

けれどもどんな運命が襲ったとしても
決して乱れることのないパッションが
私の深みには確かに隠されているのだ
それはマグマのような熱を持ちながら
深く透明な青を湛えた湖の底で
そして惑星を覆う海の深い深い底で
静かに静かに育まれている結晶のように

パッションを表そうとするならば
24色のクレヨンでは足りないだろう
500色の色鉛筆でも
1600万色や42億色のディスプレイでも
決して表すことなどできはしない
受苦のキャンパスに塗られた
無限の色彩が必要とされるからだ

パッションがくる!
陽光のように
月の満ち欠けのように
星の幾何学のように
鳥の音楽のように
花のささやきのように
そしてあなたの愛のことばのように

パッションがくる!
私は十字架の上で空を仰ぎ
大地へと血を流し
受苦のキャンパスにそれを描き
そして十字架に張られた弦とともに
パッションを奏でようとする
成就するためにこそ!

 

☆風遊戯《パッション》ノート

◎なんだか少しまとまりがないような気もするけれど、テーマとしては「感情の秘儀」とでもいえるものを言葉にしてみようと思って、書き付けてみました。「詩」ではなく、そういう形を借りた神秘学的ポエジーということなので、まあこんな感じです。

◎感情的な人、感情を簡単にあらわにするこ人というのは世に多いわけですけど、おそらくそういう人は、むしろ感情のキャパシティがあまりに少なく、貧しいことが多いように感じることが多くあります。小さなコップに大量の水を注ごうとすれば、すぐに溢れてしまうけれど、器が大きければ簡単にはあふれないようなもので、感情の豊かな人というのは、その器が大きくてはじめて、そこに深く豊かな感情を湛えられるんだと思います。

◎仏教の基本テーマに八正道というのがあって、その基本テーマは自我が感情を制御してそれを変容させることにあるように思います。そうであってこそはじめて、垂れ流しのようでない、豊かな感情を育てることができるんだと思います。

◎そのためにも、エネルギッシュなまでのパッションを宇宙的な十字架に架ける。つまり、「聖杯」に注ぐことのできるものにしていく必要があるのだと思います。それが、「成就!」ということでもあると。