風日誌


オリンピック/他者と出会う


2004.08.18

 

・オリンピック
・他者と出会う
 
アテネ・オリンピック。
あまり見るつもりもなかったのだが
見てしまうとついつい見てしまうもので
それなりに感動させられたりもする。
とくに体操などはなかなか。
yuccaが以前体操をしていた関係もあって
競技のなかではいちばん気になってしまう種目。
 
とはいえ、感動する自分のなかには
その自分を少し冷ややかに見る自分もいて
なぜ「日本」を応援したりもするのかを
不思議に感じたりもする。
 
ぼくはぼくなのだけれど
ぼくはぼくでないぼくもみているということだ。
ぼくのなかにはいろんなぼくがいる。
 
今日の「ほぼ日」の山田ズーニー『おとなの小論文教室』に
「他者と出会う」ことについてふれられていた。
 
	そして、今も、
	どんなにアンケートやヒアリングをしても、
	あるいは、日々お客さんと顔をあわせていても、
	いっこうに、お客さんの気持ちがわからない、
	出会えていない人もいるように思う。
 
	一方、お客さんから遠いと思える職場にいても、
	お客さんの気持ちや思考をよくわかった人がいる。
 
	その差は、いったい、なんなのだろうか?
 
	人はどうすれば他者の目になってものごとを見、
	他者と出会うことができるのだろうか?
 
	(Lesson211 ぺしゃんこ体験
	        ――勉強?それとも仕事?(8)
	山田ズーニー『おとなの小論文教室』。
	http://www.1101.com/essay/index.html)
 
おそらく他者と出会うためには
その前に自分のなかの他者と出会う必要がある。
太陽の光を見るためには
自分のなかに太陽を持たなければならないように。
 
この地上世界がなぜあるのかというのも
そのことに関係があるのだろう。
つまり他者に出会うために世界はある。
ということは自分のなかに他者をつくるために世界はあるということだ。
そのために悪もある。
 
ハンナ・アレントの複数性と公共性へのこだわりも
そのことから見てみることもできそうだ。
ドイツロマン派の無限に<自己>を描出し続ける超越論的ポエジーもまた。
 
 

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