風日誌


広島平和記念日に


2004.08.06

 

今日は、広島平和記念日。
今朝は、秋葉市長の平和宣言を聞きながら通勤。
昨日は広島出張だった。
例年同様、街には警備員が随所に立っている風景が見られた。
平和記念日に向けてさまざまな人が
この街に集まってきているのだなと思う。
そういえば、昨年の今日は、お昼休みの時間に、
タワーレコードで沢知恵のインストアライブ「一期一会」をきいた。
それぞれの人がそれぞれの気持ちをもって過ごす8月6日。
やはり、岡山ではとくにそれを意識している人は少なそうだ。
 
この「広島平和記念日」だけれど、
こういう記念日が切実に必要な時代であるということこそ
もっとも問題であるといえる。
逆説的な意味で、早くなくなればどんなにかいいだろう。
こういう記念日をつくらなくてもいいような世の中になる
とうことが前提になるけれど。
 
シュタイナーはあの時代、ウッドローウィルソンのことを
ことあるごとに批判していたが、現代においても
民族主義的なファナティズムがまるであの時代のように
吹き上がってきている。
日本においても君が代やら国旗やら憲法改正やら
きな臭い雰囲気が立ちこめてきつつある。
どうしてこんなことになってしまうのかわからないが
少なくとも人は全体として賢明になってきてはいないようだ。
教訓でさえもすでに山のようにあるというのに
忘却と無思考の症候群は光よりも早く駆けめぐる。
だから本来なら必要ない時代を迎えてもいいような平和記念日を
切実な思いとともに迎えなくてはならない。
「さとうきび畑」に涙しなければならない。
 
オリンピックとかももうすぐ開催されるが
ああいう催事もあそこまでコマーシャリズムと
ナショナリズムのないまぜになったものになってしまった場合、
どう受けとめていいのかわからないし
なぜそんなことをするのかさえよくわからなくなってくる。
 
 

 ■「風日誌」メニューに戻る
 ■「風遊戯」メニューに戻る
 ■神秘学遊戯団ホームページに戻る