今日は、広島平和記念日。 今朝は、秋葉市長の平和宣言を聞きながら通勤。 昨日は広島出張だった。 例年同様、街には警備員が随所に立っている風景が見られた。 平和記念日に向けてさまざまな人が この街に集まってきているのだなと思う。 そういえば、昨年の今日は、お昼休みの時間に、 タワーレコードで沢知恵のインストアライブ「一期一会」をきいた。 それぞれの人がそれぞれの気持ちをもって過ごす8月6日。 やはり、岡山ではとくにそれを意識している人は少なそうだ。 この「広島平和記念日」だけれど、 こういう記念日が切実に必要な時代であるということこそ もっとも問題であるといえる。 逆説的な意味で、早くなくなればどんなにかいいだろう。 こういう記念日をつくらなくてもいいような世の中になる とうことが前提になるけれど。 シュタイナーはあの時代、ウッドローウィルソンのことを ことあるごとに批判していたが、現代においても 民族主義的なファナティズムがまるであの時代のように 吹き上がってきている。 日本においても君が代やら国旗やら憲法改正やら きな臭い雰囲気が立ちこめてきつつある。 どうしてこんなことになってしまうのかわからないが 少なくとも人は全体として賢明になってきてはいないようだ。 教訓でさえもすでに山のようにあるというのに 忘却と無思考の症候群は光よりも早く駆けめぐる。 だから本来なら必要ない時代を迎えてもいいような平和記念日を 切実な思いとともに迎えなくてはならない。 「さとうきび畑」に涙しなければならない。 オリンピックとかももうすぐ開催されるが ああいう催事もあそこまでコマーシャリズムと ナショナリズムのないまぜになったものになってしまった場合、 どう受けとめていいのかわからないし なぜそんなことをするのかさえよくわからなくなってくる。 |
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