・『自由の歴史』 ・網野善彦 ・百姓 中沢新一・赤坂典雄『網野善彦を継ぐ。』のなかに 中沢新一が『自由の歴史』を書こうとしているという次のような話があった。 ちなみに、『性の歴史』はフーコーである。 これから大きい仕事のプロジェクトとして、『性の歴史』の向こうを はって、『自由の歴史』というものをつくろうと考えています。「自由」 という人間的本質が、どのような条件によって人間のうちにセットされ、 それがどういう歴史をたどったかということを、かなり大きい規模の仕 事をとおして、あきらかにしてみたいのです。その仕事は、何巻もの書 物を必要とするかも知れません。そのなかで網野さんが『無縁・公界・ 楽』で取り組んだ仕事が、とても大きな意味を持ってくるでしょう。こ れは、人間の自由とは何かという問題について、歴史学が問いかけた最 初の本だったと思いますが、人類学、精神分析学、哲学などの知見を総 動員して、この問題に取り組んでみようと思います。 (中沢新一・赤坂典雄『網野善彦を継ぐ。』講談社/P122-123) 網野善彦の自由についてのものといえば、『無縁・公界・楽』の他に 手元にあるものでいえば『中世再考/列島の地域と社会』(講談社学術文庫) のなかに収められている「日本中世の自由について」が思い浮かぶ。 そのなかから少し拾い出してみる。 中世の自由についてさらに論ずるならば、こうした共同体成員である 平民の自由に対し、あるいは平民の共同体から排除され、脱落し、ある いは宗教的・政治的な動機等によって自らの意志でそこを脱出し、さら に、あるいは富や実力を持つことによって共同体の規制の外に自らを置 く自由、いわば村落的な自由に対して都市的な自由ともいうべき自由が 当然問題にされなくてはならない。 (…) ここで述べてきた自由の問題は、・・・差別の問題と表裏をなしている。 古代の平民ー公民の自由は賤民等、中世の平民の自由も下人等に対する差 別を背後に持っている。そして平民の自由と「職人」の自由とは鋭く対立 する場合があり、それが相互に転化する可能性を常にはらんでいる。そし て実際、「職人」の一部は、他の要因もからみつつ平民によって差別され るようになっていったのであり、都市民による村落民に対する差別も、そ こに根を持っているといってよかろう。このように、自由の問題にその背 後の差別の視点から光をあてつくすことによって、支配者の「自由」を克 服した、真の意味での自由がはじめてはっきりと見えてくるものと思われ る。 (P49-59) 念のためにいっておくと、ここでいう「自由」は シュタイナーが『自由の哲学』で論じている「自由」とは異なっている。 しかし、それを理解するためのひとつのステップとして 『自由の歴史』について理解を深めることは意味のあることだと思う。 おそらく網野善彦の視点よりも中沢新一の視点は さらにその根源的なものを引き出してくるのではないかと期待している。 さて、網野善彦の著作を漁っていたところ、 「くらしき作陽大学」の「作陽ブックレット01」として 「よみがえる歴史」(れんが書房新社)というのが見つかった。 網野善彦が百姓=農民という思い込みに対して 異議申し立てをしたのはよく知られているが、 このなかで、岡山県の新見荘の興味深い例が挙げられている。 新見荘では、年貢は米ではなく、鉄や塩を賦課していたのである。 ここにも「年貢は米」という常識の誤りが具体的にでてきている。 水呑百姓というのは、とても貧しいイメージがあるが そうとは限らず、ただ土地を持たないという意味であることもある。 新見荘をつらぬく高梁川の出口がここ倉敷で、尾道も草戸千軒も、あるい は岡山、吉井川の福岡市など、みな河口にできた町です。これらは、海を 通り、また内陸部から舟運によってものと人が集まって大きな都市を形成 していました。ところが、これらが江戸時代になるとすべて村扱いにされ てしまいます。そのため、突然貧しくなったと思われていたのですが、そ んなことがあるはずはないのです。 これも、日本を単純に農業社会と思いこんだところから出てくる誤りなん ですね。実際は、養蚕もやっており、麻をつくり、紙をつくり、漆を取り、 栗を栽培し、その材木で建築をやる、じつにさまざまな生産を百姓と呼ば れた日本人は営んでいたのです。そうした基盤があるから、日本の職人芸 はたいへん繊細なものを作り上げることができたのです。そのたくさんの 生業のなかの重要な一つが稲作であり、畑作なのだと考えて社会を理解す る必要があります。 (P61) この百姓ということだけではなく、 世の中では本来多様なものを一面的に理解してしまう傾向があり、 「日本」にしても「国家」「国歌」「国旗」等に収斂してしまうような きわめて浅薄な理解がまかりとおってしまうところがある。 そもそも教育で「国語」とかいう名称があること自体、 どこかそうしたところに通じるような貧困そのものなのかもしれない。 |
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