風日誌


内的霊的衝動としての・THE BOOM『百景』

2004.06.15

 

・内的霊的衝動としての
・THE BOOM『百景』
・景色
 
シュタイナー『内的霊的衝動の写しとしての美術史』第4講(yucca訳)を
画像入りで、トポスのHPに登録。
htmlファイルとPDFファイルはファイル形式が違うので
けっこう手間がかかるが、画像を処理し、
テキストデータの間に埋込ながら、
あらためて講義を読み直してみると
やはり絵画のイメージ付きで読むとさらに感銘が深まる。
 
「内的霊的衝動の写しとしての」とタイトルにあるが、
まさに重要なのは「内的霊的衝動」が
どのようなものであるかということであることを
あらためて再認識させられる。
 
日本の芸術に関しても、
その「内的霊的衝動」からその変遷を見ていく
という視点も必要なのだろうと思う。
そうでなければ、何も見えてこないところがあるはずだ。
 
ところで、昨日、THE BOOMの『百景』がリリースされた。
ラジオ番組のロングインタビューが少し前にあって
そのときの宮沢和史の話が面白かったのと、
今年のはじめにリリースされていた自作カヴァーアルバム
『SPIRITEK』が少し気に入っていたのもあって、
とくにファンというほどでもないのだけれど、早速きいてみる。
 
そういえば、そのラジオ番組のなかで、
野外ライブのなかで一番印象に残っているところは?という問いに
宇和島の闘牛場でのライブ、という答えが返ってきていて
思わず笑ってしまった。
宇和島市は、ぼくが20年ほど前、
数年間仕事をしていた場所でもあったりするので、
宇和島の闘牛場ということで、
その宇和島のいろんなことが
フラッシュバックのように浮かんできた。
司馬遼太郎も愛したという宇和島のさまざまな記憶。
 
宮沢和史の声は正直そんなに好きでもないのだけれど、
なぜなのだろう、なぜかほっとするようなところがある。
とくにどうということもないのだけれど
そして気になって仕方のないというのでもまるでないのだけれど
ぼくにとっては、まさにどこか「景色」のような音楽なのかもしれない。
だから、今回のTHE BOOMの『百景』という15周年記念アルバムの
「景」というコンセプトが気になったのかもしれない。
「景色」としての音楽。
 
そういえば、その音楽をききはじめたのは比較的最近のこと。
思い出せば、いちばん最初にきいたのは、
宮沢和史が詩を朗読しているCDだった。
古書店で並んでいてふときいてみる気になったことを思い出す。
 
さあ、今日もまた一日のスタート。
今日は、プレゼンテーションが2つもあって
ちょっとキツイのだけれど、
そういえば、その「景色」ということでいえば、
プレゼンテーションにもいろんな「景色」があって、
あとでその「景色」が不思議に思い起こされることもあったりする。
今日は、どんな「景色」に出会えるのだろうか。
もちろん自分で自分を「景色」として見ることも含めて。
 

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